読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

カラスが啼く

雑感 音楽

f:id:jerryrollsunny:20160717104147j:plain

 

ノドの奥から絞り出すような声で「朝にカラスの鳴く時は夜に必ず人が死ぬ」と歌ったのは三上寛で、彼の歌を明治の学祭で聞いたことがある。その歌詞の後には、臆面もなく次のように続ける。

今日もどこかの六十ジジイが

生娘抱いて腹上死

 

このままだったら、ただの露悪趣味だが、このスタンザの最後に至ってイメージは次のように反転する。

 

赤く開いたくちの中

ヤニで汚れて金歯が光る

投げ捨てられたステテコにゃ

娘が飛ばしたアゲハ蝶

 

「アゲハ蝶」は、地獄絵の片隅に描かれた仏のように、全てを救済する。

 

その学祭の時に、やはり聞いたのは「なかなか」という歌で、

 

吉野家の牛丼はなかなかに美味い

すると牛丼よりも「なかなか」に感動している自分に気づく

「なかかな」の歴史は古いものだ

 

そんなふうに語り、俺はくすくす笑いながら聞いていた。この歌も「なかなか」から「いちいち」へと続いて行き、俺のクスクスを誘引しながら、やはり突然「ところで風だが」と止揚される。

 

ところで風だが

風が吹いていた

 

その反転を当時は「情念」と呼んで持ち上げた。今にして思えばAmをギターで押さえることへの照れ隠しだったのではないか?

 

ふとそんなことを考えた。窓の外には、子どものカラスが啼いている。