ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

ディランとバエズの距離

how many times can a man turn his head and pretend that he just doesn't see?

 

カナダ人の友人、今、カナダで暮らす彼がまだ日本に居た頃の話だ。彼はおかしな奴でコメディのスクリプトを書き溜めていた。そしてそれをお芝居として一緒に演じる相手を探していた。

 

ふとした場所で彼と知り合った俺は、その話を聞き、面白がって承諾した。俺も彼もズブの素人で、練習場所は深夜の公園。ことによったら職質されて呼ばれてもおかしくないレベルの所業だった。

 

しかし、したいのはその話ではない。ちょうどその頃、ボブ・ディランの『ノー・ディレクション・ホーム』が日本で封切られた。

 

ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム [DVD]

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それを彼と一緒に見に行ったのだ。彼は見終わって「ディランはジョーン・バエズと付き合ってたと思う?」と俺に聞いた。俺は「うーん…」と唸ったまま答えられなかった。

 

実際はもっと直接的な聞き方だった。Fから始まる言葉だ。確かにそういう疑問は浮かんでしかるべき場面はそこここにあった。ディランがバエズの家に泊まりこんで、詩を書き、曲を完成させようとしているとかね。

 

冒頭のビデオ・クリップ、ディランの「ローリングサンダーレビュー」というライブで、日本では確か一度だけテレビで放映され、俺は食い入るように見た。その時に(高校生だった俺は)恋人でも夫婦でもない二人が歌うこの距離がとてもステキだと思った。自立した二人が、自立したまま寄り添うことの力強さなどをいたいけな瞳で感じ取ったのだ。

 

それをなんとゲスな問いかけだったのか。

 

しかし、そう問われて、高校生だった頃の俺の脳裏にも、実は同じ問いかけは浮かんでいたように思えてきた。その時の俺の思考回路としては、そういう関係になったら添い遂げるべきであり、添い遂げるような関係でないこの二人はそういうことはしていないのだという可愛らしいウブな思考操作を行っていたと思う。

 

今となっては、いんじゃね?と語尾上げで思う。どっちでも、良い。どっちかと言えば付き合っていたっていう方が、紆余曲折的な人生としてオイシイかなというくらいだ。

 

それくらい俺も…なんというか…成熟した。そういう話だ。

 

大事なのは、そんなことを俺たちに惹起させる二人の特別な関係ということなのじゃないだろうか。当然のように生まれるだろうそんな思惑を軽々と越えて、愛人でも恋人でも夫婦でも友人でもない特別な関係を感じさせる距離だ。


他人にどう思われようと構わない、俺たちはそれぞれでそんな俺たちだと。


昨今、ささやかにまた激しくそんなことを思う。


とにかく、歌う二人のこの距離はとても格好が良い。