遠慮がちにうそぶく
表現は欠落から生まれる…と思われている。自分の中の足りない部分を補おうと、泥をこねて、その欠落部分に塗りたくる。
壁に開いた穴を、パテで埋めるようにだ。
ひょっとして「持っていて持っていて仕方ない」っていうところから、表現するっていうことがあっても良いのかもしれない。
植木等の声で「困っちゃったな、どうしよう、俺」と叫びながら、モテテモテテ困っちゃう(これを略してM.M.K.と呼ぶ)自分をもて余して表現するのだ。
そんなのもありだろう。なんか必死こいている人が沢山いるより、客観的に見たらそれがどんなに勘違いだとしても、「まいっちゃったなぁ、幸せでしょうがないや、俺ぇ」って奴がいっぱいいる方が、社会の温度が心地よいように思う。
そこを目指そうか。