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ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

キューティ&ボクサー

映画

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友人の紹介を受けて『キューティ&ボクサー』を見てきた。

 

ギュウちゃんこと篠原有司男は、俺の中では赤瀬川原平の友人として登場した人物だ。読売アンデパンダン展などで評判になった後、活動の地をニューヨークに移す。そこでどんな活動をしていたのか知らなかったし、無論、そこで結婚して子どもがいるなんてことも知らなかった。

 

映画は二人の若い頃の映像と現在の映像を行ったり来たりしながら、結局は80歳の篠原有司男と60歳の篠原乃り子の姿を描く。

 

この映画を俺に紹介してくれたのとは別の友人(NY在住のアメリカ人)もこの映画を見ていた。彼は「悲しくなった」と言っていた。

 

確かに小汚いニューヨークのアパートで、「今月の家賃と生活費をなんとしないと」と相談する老人夫婦は悲しい。となると同時に、野心に燃えた若い頃の有司男の映像も悲しい。飲んだくれてくだをまく有司男も、カメラを前にポーズを取る乃り子も悲しい。

 

じゃあ悲しくないのはどのような人生だったのだろうと考えると、芸大を卒業した篠原が芸術家として一家を成し…やがて教授として…自身の作品をプロデュースする会社を設立し…そうやって考えて行くと、結局は「悲しい」のだ。

 

だったら好きなようにするが良い。これが俺の結論だ。どの道、酒に酔って泣くのだ。そして、どんだけ飲んだくれても、有司男のように「病気を境に、まったく飲めなくなる」日もやってくるのだ。

 

だったら、自分の行きたかった場所で生きたいように生きながら笑っていれば良い。「もう一度生きるなら同じことを繰り返すか」という問いに「そうする」("I would")と答える乃り子の姿が、常識というものに決別した者だけが持つ力強さを俺に与えた。

 

生に正解はない。何故ならば、生きるということはひたすら質問を繰り返すことだからだ。いつものことながら、そんなことを考えて見ていた。