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ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

言葉が水

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前回の続きだ。そして考えた。俺にとっての「水」は「言葉」ではないか。この不定形で不確実でとらえどころのないもの。

 

小学校の頃、学級委員とかをしていた。何故か分からない。お調子者だったからおだてられて引き受けたのだろう。そして学級会の司会などをすることになる。そこで分かった。俺にはみんなが「話し合っている」ことの内容がさっぱり理解できなかった。

 

言葉は俺の前を通り過ぎる。立ち止まりもしない。その言葉を交換することで、同級生たちは興奮したり笑ったりしている。そのことの意味も分からなかった。やがて時が経ち、そろそろ潮時という頃合いに、担任が俺の方を向いて「じゃあ、そろそろまとめて」と言った。

 

んな、形のないものをどうやってまとめることが出来るのか。途方に暮れていると「…ということでしょ」と助け舟を出される。それにしがみついて「あ、…ということになると思います」とみんなに言うと、担任が慌てて「いや、そうじゃないでしょ」とたしなめる。

 

そんなことの繰り返しだった。これじゃいかんと思ったほどはっきりとした意味付けを持った体験というわけではない。俺はそんなにクレバーじゃない。ただ恥ずかしかっただけだ。しかし、俺なりになにかとても不思議な感じがしたのだ。いったいこれはどういうことなのだ?この「言葉」というのは何なのだ?

 

俺はそこを出発点にして、色々な「言葉」を手がかりに、俺なりの架橋工作を行ってきた。例えば星新一のショートショートだったり、太宰治のつぶやきだったり、筒井康隆には随分世話になった思いもあるし、「男はつらいよ」の脚本集なんて、暗記するほど読んだ。そして橋本治村上春樹…。再会した高校の同級生は「あの頃、お前が読んでいた『長距離走者の孤独』がさ」と俺に言った。

 

アラン・シリトーなんて、言われるまで随分忘れていた。

 

そうして少しずつ「言葉」の輪郭が捉えられてくる。捉えたと思った次の瞬間には、俺の手をするりと擦り抜けてまた不定形の流れに溶ける。

 

その出発点はあの「分からない感」だ。あの「分からない感」が少しずつ焦点を結んでピントが合っていく感じが俺にとっての「水」、俺を生かす「水」なのかもしれない。そう思ったのだ。