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ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

カタ屋

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暑いさなか、影のない白茶けた公園でカタ屋のことを考えていた。

 

焦げ茶色で瓦ほどの厚さの型に、ドブ色の粘土をはめ込む。「型」の形状は色々で、俺の記憶に残っているのは孔雀や般若、鉄人28号なんかもあった。鯛の型は、そら恐ろしいほど大きくて高価だった。

 

カタ屋についての説明は要るのだろうか。亀有公園前派出所で言及されているとのことだから、別に必要ないだろう。カタ屋のオヤジは、公園に季節が訪れるようにやってきて、型を並べ、粘土を売る。粘土と金粉銀粉、赤や青の粉を売るのだ。

 

俺たちはなけなしの小遣いをはたいて、並べられた豪華な型に憧憬の眼差しを注ぎながら、自分の手持ちの小さなそれに、いそいそと粘土を詰め、ぺたんと剥がす。剥がしたら、彩色だ。筆を持ってきているのは上級者だ。俺たちは指先に粉を付け、粘土をなぞるようにしてドブ色の粘土を彩っていく。

 

鯛の型なんかを使うヤツは、鱗の一枚一枚を、別々の色で彩色していったりする。その色粉だって課金されているわけだから、幼心に財力のあるやつには叶わないというインプリンティングがなされたのだ。

 

カタ屋のオヤジに自分の作品を見せると、オヤジは無造作に10とか100とか500とか、とにかく作品の質に応じた点数を付けてくれる。点数は小さな紙切れに書かれていて、オヤジは折角の作品にその紙切れを突き刺すのだ。

 

その品評会が終わると、オヤジはそれぞれの作品を一顧だにせず潰してしまい、粘土もろとも再び自分の物とする。俺たちの手元には、その紙切れに書かれた点数札だけが残るのだ。

 

その点を貯めると、その点に見合った型と交換してもらえる。俺たちは細々と、しかし必死にその点を集めたわけだが、ある程度貯まった頃、カタ屋のオヤジはまた季節のようにその姿を消すのだ。

 

そしてまた次に現れた時は、カタ屋のオヤジ自身も別人になり、点数札の様式も代わってしまう。俺たちはシジフォスのようにまたイチから点数を集めなければならなかった。

 

こうやって想起してみると、あの一連の行為が芸術を模倣していたのか、それとも芸術がカタ屋の営為をトレースしていたのか、いずれにしても両者は恐ろしいほどよく似ている。