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ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

もしもし

雑感

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よく言われる話だけれど、つい20年ほど前までは、ひとりひとりが電話を持っているということが、常識ではなかった。

 

待ち合わせには、時間と場所を明確に確認しておかなければならなかったし、(「山手線渋谷駅の外回りホームの一番原宿よりに、午後三時」とか「渋谷の半蔵門線に降りる階段の上から六段目」とか。ちょっと気取って冒険をして「代々木公園のNHKの方に向かう歩道橋の上」とか「新宿御苑の中で、京王プラザホテルが3時の方角に見える辺り」とか。最後のはしたことないけど)そう、俺は女の子を三時間ぐらい待っていたこともあったけ。

 

学生時代、4畳半の部屋に住んでいたことがある。そこはトイレも共同で、電話もなかった。女の子に電話を掛ける時には、外の公衆電話からだった。この状況で長電話していた自分が凄いと思う。100円を入れ、10円玉を入れ、また100円を入れる。分かるだろうか?100円を入れてもお釣りは返ってこないのだよ。最悪そのなけなしの100円を入れた直後に「ごめんね、お風呂に入るから切るね」って言われるかも知れないリスクを押して、ままよと100円を投じたのだよ。

 

課金して得た魔法石でレアガチャを引き、カスキャラしか出なかったなんて、もはや何程のものでもない。

 

そして昔はこの公衆電話も、もっと至るところにあった。その全部を外国の人たちが使っていたのを目にしたのは、もう少し後のこと。携帯電話黎明の直前のことだった。彼らは何やら商談をしているらしく、やたらと真剣にそここで、彼の地の言葉で受話器に怒鳴っていた。

 

その頃は、電話で話すなんてことはむしろ「ヴァーチャル寄り」の関係だったように思う。今は、電話なんてほぼ「リアル」だ。

 

そうやって考えると「存在が意識を決定する」というテーゼは、やはり見るべきところがある。そしてその「存在」は「環境」が決定するのだ。そうやってどこまでも下部構造へと規定の根拠は下りて行き、結局は「どうでも良い」ってことになった。

 

いやだ、もっとしみじみした話を書きたかったのに。毎日チャリンコのニケツで女の子を家まで送って行ったとか、そんな類のあの頃の話。