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ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

50代からのサーフィン 補遺

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そもそもなのだが、なぜ俺はサーフィンをしたいと思ったのだろう。

 

高校1年の時に、ラジオから流れる「サーフィンU.S.A」に感動して、LPを買った。それは覚えている。

 

サーフィンU.S.A.

サーフィンU.S.A.

 

80年代だろうか、「陸サーファー」なる言葉が流行ったことがある。「おかさーふぁー」と読む。サーフィンをするわけでもないのに、サーファーの格好をするお調子者たちのことをそう揶揄したわけだ。

 

ということは、当時、サーフィンをするということが、あるステイタスを持った娯楽として注目されていたということだろう。週末の深夜番組で「どこそこはオンショアの風が吹いてます」なんて言っていたような気がする。

 

ああ、『Popeye』とか『ブルータス』とかの雑誌に煽られたっていうこともあった。俺は『Popeye』は読まなかったけれど、『ブルータス』は読んだ。なにか志の高さのようなものを感じたからだ。あの頃の俺の背伸び感に調度良かったのだろう。

 

車を持たないサーファーたちは、キルティング仕様のバッグにサーフボードを入れて、電車でサーフスポットまで移動した。俺の生まれ育った東京のイーストエンドゼロメートル地帯の質屋にサーフボードが置かれているのを見た。

 

それが3万円だったろうか、5万円だったろうか。ノドから手が出るほど欲しかったけれど、それを手に入れても、さてどうやってサーフィンを始めれば良いのか見当もつかなかった。周囲をいくら見渡しても、サーフィンをしているなんて知り合いは見つからなかった。

 

当時時給500円でバイトをしている身としては、ノドから手が出ても贖うことの出来る額ではなかった。

 

これは、受身の人生であった俺自身の過去を象徴しているのか。ガッツのあるヤツは、バックパックを背負ってニューヨークまで単身で行くことだってするのに。俺は、サーフィンのひとつも始めることが出来なかったのだ。

 

尊大な羞恥心と臆病な自尊心。…それは中島敦の『山月記』のフレーズだ。諦める理由は幾つも思いつく。始める理由は「やりたい」だけだ。

 

今の若者達が、Facebookなどでどんどん知り合って、軽はずみに何にでも挑戦するその姿勢を、俺は徹底的に支援しよう。茨木のり子も「もっと強く願っていいのだ」と言っている。

 

自分の感受性くらい

自分の感受性くらい

 

ああ わたしたちが

もっともっと貪婪にならないかぎり

なにごとも始まりはしないのだ