ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

夢の続き

f:id:jerryrollsunny:20121021134459j:plain

 

ご招待頂いて赴くと、半端な話じゃなかった。家で演奏会をするからお暇ならどうぞということだった。「???」と幾つものクエスチョンマークを浮かばせながら、その知人と称するのもおこがましい、敢えて言うならば「老師(グル)」の家に行ったのだ。

 

「老師」が、知人の演奏家に「ほとんどボランティアで」演奏してもらう。そういうことであった。

 

俺のすぐ目の前で、アップライトピアノの伴奏と共にクラリネットの音色が流れる。演奏者の背後に窓があり、既に傾いた日が彼の姿を影にする。70代の半ばを越えた演奏者は、でも背筋を伸ばして音楽を奏でる。

 

上質の演奏が俺の中途半端を浄化してくれる。浄化されながら、彼がここに至るまでに経たであろう「物狂い」を思った。北の国で、海沿いの町で、そしてヨーロッパで、この細く温かい音色は流れたのだろう。

 

俺はひたすら頭を垂れて、音に身を任せていた。クラッシクなんて普段聞くことはない。だからって聞かないわけでもない。友人のストーンズフリークが言っていた。「どんなジャンルの音楽が好きかって聞かれるんだけど、俺は『ジャズ』とか『ファンク』とか『レゲエ』とかが好きなわけじゃないんだ。俺は、『音楽』が好きなんだよ」

 

そう。多分、俺も音楽が好きなんだと思う。実生活に…と問われれば、恐らく全く何の意味もないこれら美しい音の羅列というその無意味が、そこに恐ろしいほどのパッションを傾けた人々の集中が、鳥肌が立つくらい崇高なものに思えるのだ。

 

とてつもなく贅沢な時間。

 

そして浄化される。仕事のこと、こだわっていたこと、こだわらなければ俺の負けだと思ってきたような諸々のことが、その音の前に無力になった。

 

「どうだって良いじゃないか。出来ることはやらなければならないことだ。やれることはしなければならないことだ」そんなふうに思えてきた。

 

その音を表現することが出来なくて甚だ歯痒いのだが、「音」に整体を受けたという話だ。「セロ弾きのゴーシュ」の小動物たちのように。