ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

にんじん 友部正人

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別れの季節は、転校や転勤、さまざまな移動がある春なのかも知れない。しかし、別れを感じる季節は秋なのだ。

 

ヒリヒリと照りつける暴力的な日差しが失われ、朝晩の空気に清澄なハーモニクスが感じられるようになると、ああそうか、この世には別れというものがあったんだよなと、しーんとさみしくなったりする。

 

友部正人の「にんじん」という唄には、「どうして僕は行ってしまうんだい?どうして君はさよならって言うんだい?どうして君は行ってしまうんだい?どうして僕はさよならって言うんだい?」っていう微妙な言葉の入れ替えで、「さよなら」っていうもののやるせなさを、くっきりとさせているところがある。

 

でもね、でもね。なのだ。潔癖に「さよなら」って言いきった相手でも、すごくいい加減な感じでだらしなく再会したり、もう会えないと思っていた人と、ひょんなことからすれ違ったり、何十年も生きているとそんなことがある方が当たり前だということを知っている。

 

こう書きながら、この夏、あっち側に行ってしまった人が居ることをどうしても思い出してしまうのだけれど。すっかり忘れていた人のことを思い出させたのは、ギ〜ラギ〜ラ太陽が燃えるような夏の最中だった。あちら側へ行ってしまうという決定的な形で思い出すことを…強要されたのだ。 俺が昔その人と一緒に過ごした場所を10数年振りに再訪していた時のことだ。俺は偶然の符合というものを勝手に感じてしまったのだ。

 

その人は俺とちょうどひと回り年上で、ということは、まだまだあっち側に行くには「惜しい」と言われる年齢だった。それなりに多くの人に歌われている歌の作詞作曲をしていたその人自身から、幾つかの歌を口伝えで教わったこともあった。集中的にではあるけれど、ある時期かなり近くに居た人だったから、俺は随分びっくりしたのだ。

 

でも、そんな平均的在り様も一般性も無視してやって来るのが、あいつのやり方だということだって知っている。だから「どうして君は行ってしまうんだい?どうして僕はさよならって言うんだい?どうして僕は行ってしまうんだい?どうして君はさよならって言うんだい?」っていう理不尽さに肩寄せて、この秋の季節をやり過ごすのだ。