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ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

絵を上手に描くには…

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小学校の時に、同級生の手塚くん、彼はクラスの違う俺にまで「絵が上手い」と伝わってきていたのだが、彼が運動会の絵を描いて、走る子どもたちの顔に一点、赤色を差してくちびるを表しているのを見た時に、「あぁ、絵が上手だっていうのは、そういうことだな」と思ったのだ。そして、俺は下手だと。

 

「そういうこと」というのが、どういうことなのかと言うと、当時は分からなかった感情を今、説明してみるとこういうことになる。人間のくちびるが赤かというと、決してそういうことではない。髪が黒ということだってそうだ。最近、避けられるようになった「肌色」という言い方が、そう呼ばれるようになった時から、避けられるにまで至る経緯を含めて象徴されているようなことだ。

 

絵の描き方というルールがあって、それを身につけるということが絵が上手いということなのだ。こう言うと負け惜しみのような感じがするだろうか。あともうひとつ、上手いと思い込むこと。そのことでその絵の描き方を学ぶということ対する照れを捨てられる。

 

だから絵を上手に描くには、上手に描いている人の描き方を習えば良いのだ。それを知らないということが下手だということ。どんなものにも文法を学ぶことが大事だということだ。

 

中学校の時、美術の先生が女の先生で、彼女は実習中の俺たちの絵を後ろから覗きこんではアドバイスしてくれる。その時に、人によっては胸を押し付けてくるという噂が流れた。女の子たちが「ねぇ、あれってどうなの?」とか話しているのを聞いたことがある。しかし、俺はその恩恵に預かることはなかった。

 

夏休みの宿題に「イエローサブマリン」をモチーフにした作品を描こうとして、描きかけで放っておいた俺の下絵を父が見つけて、「こういう中途半端な背景じゃなくて、もっとメリハリをつけてこうやって描くんだ」と、絵の具を使って彩色を施してくれた。父は看板屋でバイトしたことがあると言っていた。「もう良いから、あっちを終わらせちゃえ」と「イエローサブマリン」を描き上げてくれた。あっちとは、いまだ山のように残っている他教科の宿題だった。

 

二学期になって俺はその美術の先生に呼び出された。絵の具の匂いのする美術準備室で彼女と二人きりになった。

 

ビートルズ、好きなの?」「はあ」

 

まぁ、それだけで話は終わった。

 

高校になると油絵を習うことになった。俺はその頃になるとユトリロモディリアーニの絵を部屋に飾ったりするようになっていた。俺は俺の(本当は父の)「イエローサブマリン」の絵を自分で真似るように絵を描いた。

 

やがて俺は自分の絵を「普通やや上手い」ぐらいの位置につけていた。俺はモンパルナスの灯を見た者のような顔付きで、絵筆を走らせてみたのだ。そうすると確かに「普通やや上手い」ぐらいの評価をもらうことができた。