ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

風呂上がりの夜空に 小林じんことか

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メンタリティを形成するのに重要な役割を果たしたものというのは、決して多くないはずだ。三代目魚武こと濱田成夫同様に現代日本の多くの青少年にとって、それは『少年ジャンプ』なのだ。だが、俺は『少年マガジン』だった。

 

時代…だ。

 

『明日のジョー』と『巨人の星』によって精神形成の礎を作られたと思う事実に思い至ると、故梶原氏の顔が浮かび、騙し討ちのようにして犯されてしまった手遅れ感で発狂しそうになる。「イヤー!」という叫びが脳裏にこだまする。存外「教育」ってそういうことだったりするのが恐ろしいが、しかし、その括りを広げて、「ほら、俺は『少年マガジン』だから」と考えてみると少し気持ちが落ち着く。

 

その上、それを『1・2の三四郎』から『バタアシ金魚』『風呂上りの夜空に』とすると更に気持ちは安定する。少しは自分を好きになっても良いような気がしてくる。後の2つはヤンマガだけれど。

 

1・2の三四郎 1 (KCスペシャル)

1・2の三四郎 1 (KCスペシャル)

 

『1・2の三四郎』は同じスポコンにしても、俺の中にある「ふざけたい」という本能を丁度いい塩梅で刺激してくれる。本気になることへの照れを「ふざける」という形で中和してくれるという感じだろうか。いや、俺は本気になることへのリミッターを丁度良い感じで締めたり緩めたりということが出来ないらしい。気が付くととてもこっ恥ずかしいことになってしまう。

 

しかし、その最中に『1・2の三四郎』を思い出すことで安定感を取り戻すことができる。シリアスな場面に出くわすとふざけずにいられない主人公たちに「どうしてそうやってふざけるのよ」とマネージャーの志乃に、彼らは「だって恥ずかしいだろうが」と答える。その台詞だ。

 

いや、こうやって思い出していてそう考えただけだが。

 

『風呂上りの夜空に』は、同じ頃に『ビックコミックスピリッツ』に連載されていた「めぞん一刻」がそのまったりした展開にイライラされられるのと裏腹に、俺たちに爽快感を与えてくれた。これも俺にとっては、恥ずかしさ中和系。

 

風呂上がりの夜空に (1) オンデマンド版 [コミック] (ヤンマガKCスペシャル)

風呂上がりの夜空に (1) オンデマンド版 [コミック] (ヤンマガKCスペシャル)

 

それまでヤンマガなんて読むことがなかった俺に、弟が「あんチャン、これくだらなくて面白いぜぇ」って教えてくれたものだ。

 

それら恥ずかしさ中和系のマンガに『バタアシ金魚』を足して俺の精神のバランスは成り立っているということなのだ。

 

いや、『明日のジョー』も『巨人の星』も『めぞん一刻』も大好きなのだけれど。