ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

新しいスニーカー ボロボロのスニーカー

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床屋に行った翌日は「オハツッ!」と叫びながら頭を叩く。後頭部から頭頂部にかけて擦り上げるようにして叩く。当時の床屋の作法は、刈り上げを以て旨とすることとなっていた。床屋に行った少年たちは昭和時代をありのままに、青々とした後頭部で学校に現れることになる。

 

思えば「オハツッ!」という儀式は、その定規で引いたような輪郭の1ミリの狂いもないように整えられた床屋の美意識と、青っ鼻垂らして輪郭のぼやけた愚鈍な日常とを繋ぐ通過儀礼だった。

 

床屋に行った翌日、誰もが照れくさい中で、「オハツッ!」と多くの手を経て揉みくちゃにされることで、漸く日常復帰を果たすことができた。俺たちはそんな少年たちだった。

 

さてこそスニーカーだが、以前、新しいスニーカーボロボロのスニーカーそれぞれについてのエピソードを紹介した。

 

新しいスニーカーが床屋に行ったばかりのウブな純粋という名の単純さを体現した、気恥ずかしさの象徴であるとするならば、ボロボロのスニーカーは、日常の中で時を過ごした熟練の技、重厚な落ち着きを感じさせる存在なのだろうか。

 

古老の味わいを身につけたつもりのボロボロのスニーカーが、その内実は、老獪と呼ばれるような醜悪さに、饐えたような臭気を放っているということだってあるだろう。

 

ここで俺の脳内のB.G.Mは 左とん平の「ヘイ・ユウ・ブルース」に変わる。「すり減っちまって短くなったすりこぎを誰が拾うもんか」というヤツだ。さっきまではチューリップの「虹とスニーカーの頃」だったのに。

 

そんなふうに考えていくと、早川義夫の『かっこいいことはなんてかっこ悪んだろう』というアルバムのことを思い出した。「サルビアの花」を細い声で歌っていた。まだ何にも知らなかったのに…と今、言うことが出来るが、だからと言って、その「変化」が大したことであるというわけでもない。

 

かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう

かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう

 

ボロボロのスニーカーが、かっこいいスニーカーであるためには、「オハツッ!」とからかってくれるような仲間と、かっこ悪いことを引き受ける覚悟が必要なのだ。