ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った

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昨日の通勤途中、いつものように汗をかきながら自転車に乗っていると、前から大きなアゲハチョウがヒラヒラと飛んできて、俺の腕を掠めて去っていった。

 

その時、安西冬衛のこの一行詩を思い出したのだ。

 

俺は韃靼海峡というのがどこにあるのか知らなかった。調べてみると間宮海峡のことだ。更に調べてみると、この一行の詩にものすごく象徴的な意味を持たせて解釈している人たちもいる。蝶は病床にあって日本への帰国を渇望する作者安西冬衛の思いを託したものなのだと。しかし、そういった文学史的な知識がなかったとしても、充分イメージを展開する楽しみが感じられる一行の詩だ。

 

子どもの頃、アゲハチョウの幼虫を飼うことが流行った夏があった。柑橘系の庭木がある家を訪ねて、幼虫を採らせてもらえませんかと頼むと、勿論願ったりかなったりの申し出で「ああ、良いよ良いよ」と言ってもらえた。そして、「飼いたいので、時々餌がわりにこちらの葉っぱを頂いても良いでしょうか」とカツオ並の慇懃無礼さで頼み込むのだ。

 

俺はそうやって何匹もイモムシを飼っていた。そしてある朝、羽化の瞬間を見たのだ。蛹の中には全てが準備されていた。脱皮が始まり羽が静かに広がっていく。やがてヒラヒラと飛んだ。

 

自転車で職場に走る為に汗をかいていた俺は51歳だ。これまでに何かを為したとは言えない。同じ朝を迎えた人たちには、ひどい思いをさせたり、ひどい思いをさせられたりしてきた。俺のことだ、ひどい思いをさせた方が多かったろう。

 

何があってもその報いだと思えば、仕方無いと諦念に包まれる。

 

子どもも2人、中学生になった。子どもが生まれた時に俺はこいつらの為に生きることはしない。そう思った。誰だったか、生まれた自分の子どもを見て「俺は、これから俺だけの為に生きる」そんな感想を持ったと書いていた。

 

先週は一週間まるまる自転車に乗れなかった。内田樹がどこかで「精神的にも肉体的にもバランスを崩してしまった時は、ネックレスでも何でもぶら下げてみて、地軸の方向を確かめるようにすると良い」と言っていた。

 

自転車に乗ることは、ある意味、地軸の方向を確かめるようなバランス感覚が必要になる。汗だくになっても、ヘロヘロになっても、それは必要なのだ。

 

そんな俺と、蝶が擦れ違い、触れ合ったのだ。