ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

あの歌が思い出せない

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あれはもう2年前になる。中学校の同窓会があった。35年ぶりに再開した俺たちは、見知らぬ同窓生たちと地元に集まった。ぎこちない挨拶を交わしながら、それでも酒の酔いに意識を混濁させるうちに、逆に拡散されて沈殿していた部分が浮き上がってきた。ゆっくりとゆっくりと教室で過ごした時間が蘇ってきた。

 

そう言えば、テニス部だったよね。あのさ、3年の時、俺の前の席だったこと覚えてる?授業中にオナラしちゃったんだ、俺。そしたら何か、あんたじゃないかって感じになってさ、俺もみんなと一緒に、あんたを冷やかしてさ、ごめんね。35年前のことを謝った。それは俺だ。

 

何よりも切ないのは忘れられないことの総体を失ってしまうことだ。その欠落が逆に大きな存在感として現れる。忘れてしまったものの断片でも思い出せば、ごっそりと耳垢が取れるように全てを思い出すことが出来るような気がする。

 

清志郎の切なさの中でイチバンは、「君がいつも歌っていたあの歌が思い出せない」というフレーズだ。君のことは思い出せる。君との時間も全て覚えている。君の笑うその笑い方も覚えている。でも「あの歌」だけが思い出せないのだ。

 


あの歌が想い出せない - RCサクセション 1972

 

あの歌を忘れたのならば、君の全体像もやがて忘れてしまうのかも知れない。そのことに怯える。悲しくもなくなってしまうだろうということ。すっかり忘れてしまった自分自身と霞んではいるが覚えている自分自身との連続性が恐ろしい。

 

結局、生まれてから俺はこの身体の中から全てをずっと見てきたのだ。この身体の中から一歩も出たことがないのだ。俺という着ぐるみを着て、その中からずっと世界というものを見てきたような、とぼっとした感じだ。当たり前だが、その着ぐるみから一歩たりとも外に出たことがない。

 

何も確かなものがない時代にあって、俺が確かに感じられること。その着ぐるみの中からはっきりと見て取れるものは、唯一つ、時間が流れるということだ。だから思い出して、時間を手に入れたいのだろう。

 

これも寺山修司が剽窃した言葉だが「過去と未来の長さは同じ」なのだから。