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ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

北山耕平の青空

雑感

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『宝島』の編集長だった北山耕平が『抱きしめたい』という本の中で、江ノ電に乗って七里ヶ浜辺りで海に出る場面を描写していた。その本を見つけるために部屋を探せば良いのだけれど面倒くさい。何よりも俺の中に残った描写を思い出す方が面白いと思うのでそうする。

 

昼下がりの江ノ電だ。そこには光の粒子が踊っている。レイ・ブラッドベリの『たんぽぽのお酒』に新しいスニーカーを欲しがって「お前はもう持ってるじゃないか」と父親に言われた少年が「春が来たから。春が来たから新しいスニーカーが欲しいんだ」と応えるシーンがある。そんな気持ちで春が来たから、江ノ電に乗って海に向かう。

 

幾つかのカーブを曲がる。時には驚くほど目の前を民家の軒先が通り過ぎる。とりわけ大きなカーブを曲がった後、目の前に海が広がる。遠くの青空と海の隙間に夏を待ちきれないサーファーたちがちらほら浮かんでいる。

 

大枠そんな文章だったと思う。それを読んでからずっと、そんな青い海を見たいと強く願ってきた。

 

高校時代までは、関東平野ゼロメートル地帯に住んでいた。コンクリートの階段を登って、堤防の上から見ると、そこにどす黒い川が流れていた。水の上には何もなく清々する。流れがそこにあった。ゆっくりと流木や芥が流れていく。

 

その先の青い海が見たかった。たまさか家族旅行などで行く海はいつも曇天だ。鉛色の海しか知らなかった。家の近くの鉛色の川の印象と相俟って、海の色はせいぜいがコンクリートのような灰色と思い込んでしまっていた。

 

青い海を見るためにはその近くに住むしかない。北山耕平の文章を読んでそう思ったのだ。

 

そして、今、これまでに幾度も青い海を見た。俺は青い海を見たいと強く願い、それをかなえた。良く言うではないか、強く願えばそれは必ずかなうと。イメージ出来ることは、それを細部までイメージすることによって実現すると。

 

ある時、これから入院しなければならないという友人と、点滴の針が痛いという話になった。じゃあ、君がその経験をもとに、痛くない針を作れば良いじゃないか。そんなの無理だろ。異物を体内に挿入するのだから、多かれ少なかれ痛さは伴うだろう。じゃあ、針を使わないという方法で点滴を行う手段を考えよう。

 

これは難しい。

 

同様に「ワンルームマンションが付いたスマートフォン」…これも難しい。イメージが出来ないからだ。

 

イメージできることは実現する。強く願えばそれはかなう。簡単にイメージすることが出来たら、そちらに向かって進むことが出来る。どちらへ進めば良いのか逡巡しているのに比べたらずっと良い。強く望むことで俺のエッジが立ち、びっしりと青の粒子が詰まった青空の、その粒子ひとつひとつを味わうように時間が流れて行くはずだ。