ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

カメラマン

 f:id:jerryrollsunny:20120805114121j:plain

 

中学の頃、キャリア教育の一環として将来の希望の職業を作文として書かされた。俺は、14、5才で人生考えさすなよと思いながら、途方に暮れていた。俺の父は錺職で、(「指輪に傷を付けた」)語弊があることを承知の上で、そのまま記せば「継ぐような仕事ではない」と常々言っていた。

 

天才バカボン』でバカボンのパパが「ボーナスってなんなのだ?」と聞きまくる回があった(茄子に棒を差して「ボーナスなのだ」)が、俺の家はまさにそのままだった。「会社」というところが何をするところか、「社長」や「部長」「課長」「係長」というテレビに良く出てくる人たちが、何をするのか見当がつかなかった。

 

村上龍の『13歳のハローワーク』もまだなく、やりたいことも出来ることも何ひとつ手掛かりがなかった俺が思いついた職業がカメラマンだった。

 

13歳のハローワーク

13歳のハローワーク

 

橋本治が「苦手科目の克服」という雑誌の特集を読んで「うーん、僕の苦手科目ってなんだろうって迷って、取り敢えず数学ってことにしたら、とたんに数学が出来なくなった」と対談集『悔い改めて』で言っていたが、俺が「カ…カメラマン」と思ったのも、そんな取り敢えずの気味合いで、決めてみるとなんとかなるような気がしてきた。

 

それまで親のカメラを借りて俺が撮る写真は評判が悪かった。人が写っていない。何が撮りたいのか分からない。お前にカメラは使わせたくない。そんな感じだ。

 

その後、そのキャリア教育に関しての具体的な進展はなく、俺の「カ…カメラマン」という気持ちは何らの展開を見せることはなかった。ただ、一度だけその気持ちを生育しようと図書館で写真集を手に取ったことがある。誰のなんという作品か分からないが、金髪女性の顔を白く塗り、そこに極彩色で色付けした顔を写したものだった。

 

細部にまでフラットに焦点が合い、絵の具を押し上げる産毛もはっきり見えた。真剣にカメラを睨む視線と絵が描かれた顔とのギャップが、その写真全体に「カブキ者の底力」とでも呼ぶべき迫力を与えていた。

 

俺は感動した。そして写真に感動できる自分に驚いた。ひょっとしたら俺は本当にカメラマンになれるのかもしれない。そう思った。

 

マルタ島から帰ってきて現地で撮った写真を報告書の形でまとめるために、同僚のアメリカ人、彼は日本のアニメが好きで、アメリカでも美術部に所属していたということを聞いていたので、彼に俺の写真の選定を頼んだ。データを渡し、暫く経って声を掛けてみた。

 

「どう?」「…ひどいな」「そう?」「ああ…これ見てみろ、ピントが全然合っていない。これはこの建物を撮ったつもりかも知れないが、この女の子がパンを頬張ってる。この子は目をつぶっている」

 

俺は「ハイ、じゃあこっち見てください、撮りますよ、3・2・1、チーズ!」っていう写真がダメなのだ。それは写真じゃないと思っているのだ。その場に居たという時間を切り取りたいのだ。だから、勢いそのアメリカ人が言うような写真が多くなってしまう。プロは1枚の為に、何千回ってシャッターを切ると言うではないか。

 

俺はこう見えても一度はカ…カメラマンの道を志したことのある者だ。幸い彼には美術の素養がある。これを機会に写真の道を改めて志しても良いだろう。俺は襟を正して彼に「じゃあ、俺はこれから写真を撮るにあたってどうすれば良いかな?アドバイスはない?」と尋ねた。

 

彼はひと言「撮らないことだな」と答えた。

 

だから、このブログトップに掲示している写真は、今だにこのような有様なのだ。でも俺は心のどこかで思っている、俺はひょっとしたらカ…カメラマン…。友人に何人か居るカメラマンが聞いたら怒るだろうな。

 

ご高配の程を。