ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

風に吹かれて

f:id:jerryrollsunny:20120729133935j:plain

 

昔、ひょんなことからヨットに乗せてもらったことがある。緑に包まれた高原の湖でだった。その湖面は鏡面のように澄んでいた。

 

ヨットの上で俺に操舵をレクチャーしてくれていた先輩が「もうすぐ風が来るよ。準備して」と声を掛けてくれる。俺にはそれが不思議でならなかった。どうして風が来るということが、湖上にあって分かるのか。

 

俺は基本的にすぐに反応するタイプではない。黙って考えている。会議なんかでは最も鼻持ちならないタイプだ。自分から敢えて発言することはない。その代わり指名されるとそれなりの意見を述べる。鼻持ちならないというより、会社の発展に貢献しないタイプだ。

 

暫く経ってから、そう3年ぐらい経ったパーティの時にその先輩に再開して「あのさー」と切り出して尋ねた。「湖面のさざなみを見てるんだよ」それが答えだった。

 

彼は風を「見て」いた。

 

大学の演劇部で活動していた友人が芝居のポスターのデザインを考えていた。「手作りで行くって演出の人が言って、あたしが描くってことになっちゃってさ」だそうだ。それを聞いて「Can you see the wind?」という言葉をどこかに入れてよって頼んだのは、彼とのやり取りを思い出したからだ。

 

風すらも見える。だとしたらアレだって見えるに違いない。

 

糸井重里だったと思うけれど、例えば「愛」という抽象的な概念は、実在するのかと言われれば、そんなもの見たことがあるわけでもない。それは数学の「虚数」と一緒で、その先の論理的な展開をするために、仮に存在することにしておくのだという。だから人は抽象的事柄についても、意識のベクトル合わせをすることが可能になる。

 

近くの小高い山、その山の頂き近くに生えている木が、風で揺れているのを見ることがある。ゆっくりと左右に揺れて、それを眺めていると自分が水中にいて、遠くにある水草が揺れるのを見ているような錯覚を覚えることがある。自分が立っている所には風が吹いていなくて、その山頂にだけ吹き抜けている時は尚更だ。

 

時々、思い立ったように山登りがしたくなるのは、絞れるくらいに汗をかいていく登りの途中にある風の通り道に出会うと、叫びだしたくなるくらい心地よいからだ。

 

何故、このような話を書いているかというと、今、ベランダに向かって足を投げ出し、涼しい微風を感じているからだ。

 

「暑い暑い」はもう飽きた。そんな生意気を言ってみよう。この国の暑さなんて、たかが知れてると。

 

「こんな日は、洗濯物の乾きが良くて助かるわ」俺は、今日、これで行く。