ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

賭け事必勝法

f:id:jerryrollsunny:20120615113150j:plain

 

なんてハッタリをかましたタイトルをつけてみたけれど、誰もが知っていることだ。賭け事に必勝する方法は、金持ちになること。それしかない。

 

100円賭けて外れたら、200円賭ける。200円賭けて外れたら400円賭ける。そうやって倍々賭けていけば、いつか必ず勝つ。そういうことだ。

 

それはそうだ。感覚的に分かる。だから賭けに負けるというのは、落語「文七元結」の親方が言うように「目がないから取られる」のではない。途中で賭金がなくなるから負けるのだ。

 

NHK落語名人選(12) 六代目 三遊亭円生 文七元結

NHK落語名人選(12) 六代目 三遊亭円生 文七元結

 

永遠に賭けることが出来る元金が無尽蔵にあれば、決して負けない。逆に言うと、それが出来ない以上、必ず負けることになっている。

 

賭け事は儲けようと思ってするのではない、そのプロセスを楽しむのだ。そう。そういうものだ。でなければ理の流れから逸脱する。

 

昔、ウインズ後楽園で掃除のアルバイトをしていたことがある。床に捨てられる馬券とか吸い殻を掃除するという至ってシンプルなバイトだ。一日中「外れ馬券」を掃除して得た教訓は、「これは金持ちの遊びだ」というものだ。

 

万が一と思って、当たりの番号をチェックして、間違えて捨てられていないかと思いながら、ホウキとチリトリを持って床を見つめていたりした時もあったが、バカバカしくなって止めた。

 

今は、誰も言及しなくなったけれど、俺が子どもの頃は『ノストラダムスの大予言』というものに兢々としたものだ。「1999年7の月に恐怖の大王が来る」と書かれた予言の書、そのノストラダムスという人は、これまで「ナチスの台頭」や「パスツールの予防接種」など、世界史的な出来事を幾つも予言して的中させていると言うのだ。

 

俺たちは半ば笑いながら、でも将来というものが否応なく掻き立てる不安から、うっかり、在り得るかもなって思ってしまう時も正直あった。どうせ世界は終わるのだから受験勉強なんかしないって笑いながら言うヤツもいたくらいだ。

 

誰が書いたか忘れてしまったけれど、その文章を読んで俺はその論理的な整合性に圧倒されて、それ以来この予言への怯えが消えた。

 

こういった主旨だ。

 

これまでにも「予言の書」というのは数多書かれた。その記述の中で、隠喩的に記述されている部分や、明確に年代が指定されているものも全部ひっくるめて、整合性を失ったものから、淘汰されて来たのだ、と。

 

例えば10000冊の予言の書があって、10年後、その中の5000冊は、「当たらなかった」ということで、消えていく。次の10年で4000冊が消えていく。そうやって捨て去られてきた過程で、なんとなくこじつけ的にも当たっているかのように考えられるもののひとつとして『ノストラダムスの大予言』が残っているのだ。やがて1999年7月になにか「恐怖の大王」的なものがやってくれば淘汰されずに残るし、やってこなければ、そこで忘れられる。それだけのことなのだ。

  

ある俳優志望のアメリカ人がニュー・ヨークにやってきて役者修行をしていたのだと。数年下積みをしても目が出ないので、日がなポーカーに夢中になっていたのだと。自分をありのまま出して必死になることはある意味怖いことだ。全てを晒して「ダメだ」と否定されたら救われない。だからポーカーに逃げていたのだと。

 

ある時、様子を見に来た母親にその姿を知られた。母親は彼に「カードに賭けられて、どうして自分に賭けられない?」と言ったと。

 

この挿話は、『ぼのぼの』のスナドリネコさんを思い出させる。ヒグマとの戦いに傷ついて横たわるスナドリネコさんをぼのぼのが心配する。

「大丈夫?」

「大丈夫だ。俺は負けない」

「どうして」

「負けたと思わないからだ」

 

 

ぼのぼの 3 (バンブー・コミックス)

ぼのぼの 3 (バンブー・コミックス)

 

今まで何度も「世界の終わり」がクチにされてきた。終末論というやつだ。でも俺は知っている。世界は終わらない。終わるとしたら俺が終わるのだ。だから世界は終わらない。