ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

看板作り

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こうしてやっているひとつひとつの事柄に一体どんな意味があるのか考えてみる。それは仕事であったり、このブログであったり。例えば学生なら勉強することにどんな意味があるのか考えてみたように。

 

数学なんて意味がない。学校を卒業してから使うのなんて、加減乗除程度のもので、三角関数なんてその方面に進まない限り使わないじゃないか。英語なんて、日本に住んでいる限り絶対必要ということはないだろう。古典なんて、あんな死んだ人達の文章なんて読めなくたって問題はない。

 

クチを尖らせて教師に言い募ったことがあるのを覚えている。でも、その件に関しては村上春樹のベストセラー『ノルウェイの森』で解答が書かれていた。古典を勉強することに意味があるのじゃなくて、古典的思考、別のコードによる発想を読み取ろうとすることに意義があるのだ。数学だって論理的思考方法を学ぶことに意義があるのだ。そう書いてあった。(確か)

 

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

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小さなことのひとつひとつは、看板を上げること。そう説明してくれた先輩がいた。魚屋は魚屋の看板を上げる、肉屋は肉屋の看板を上げる。お前はお前の看板を上げるんだよ。

 

そこに何があるのかを示すもの。警察なのに銀行の看板を出していたら、周囲の人は混乱する。自分は全然違うつもりで言ったのに、思いもよらないような反応が返ってきたら、それは間違った看板を上げてしまったからなのかもしれない。

 

ずっと以前に野田秀樹が演出したシェイクスピアの『十二夜』をNHKで放送していた。大地真央が主演の喜劇だ。橋爪功と笹野高史が印象的だった。そのお芝居で、生まれてすぐに生き別れになった双子の兄妹が、やっとのことで再会を果たした時、妹は自分の顔、双子の兄と同じ自分の顔について「私のこの顔は、あなたに見つけてもらうために作られたのですね」と、うろ覚えだけど、そんなセリフがあった。

 

 

顔は変えられないけれど、看板は自分で作れるのだから、魅力的な看板にしたい。魅力なんてものは人次第で曖昧なものだから、せめて自分の納得がいく看板を上げたいなと。

 

遠くから見ると地味だけど、近くに寄って見てみると、細かい字でびっしり色々なことが書いてある。その細かい字を読んでから、ちょっと離れて振り返ると、その細かい字がなんだから模様のように見えてくるような、そんな看板を作りたい。