ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

片想い

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ジョン・アップダイクの短篇集なのだけれど、題名も何もかも忘れてしまった。そもそもアップダイクの小説は、読むというよりも、読んでいる姿を誰かに見せたいという気持ちの方が強くなってしまう。実はこれまで読み通せたことがあまりない作家のひとりだ。その読んでいる姿を見せたい誰かは、自分だけでも構わない。でも、何故か読み通すことができない。こんなに好きになりたいのに、どうして振り向いてくれないのという面倒くさい片想いに近い。

 

ただその短編集の中で、雪の夜に去ってゆく人を部屋の窓から見送るといった場面で、雪が溶けて信号の青を滲ませるといった描写はとても好きだった。

 

そんな瞬間もあるものだから、あながち縁がないという訳でもないのかも知れないとまた惹かれてしまう。そんなところも片想いだ。

 

そんな片想いは、他にもたくさんある。

 

例えば数学もそのひとつだ。数学が出来る人は本当にカッコイイと思うし、自分でもそれなりに一生懸命勉強してきたつもりだけど、俺には数学的に物事を把握するための、何か根本的なものが決定的に抜け落ちているらしい。どうしても上手く付き合うことができないのだ。買い換えた車の燃費とかも、それが苦手な「数字」だからっていうのがあると思うのだけれど、記録しようという気持ちが全然ない。

 

だから義理の父なんかにそれを聞かれても、そもそも相場っていうものの検討がつかないから、「いや、全然分からないです」って、極めてそっけない返事しかできなくて申し訳ないことになる。

 

以前「関東の方はガソリン代は幾らくらいだ?」って聞かれて、適当に答えたら「ええっ!」ってすごくびっくりされたことがある。それ以来警戒しているのだ。多分マックのポテトは幾らかな?って聞かれて「三千円はしないと思いますよ」ぐらいの見当違いのことを言ったんだと思う。

 

俺だって今はもうガソリン代の相場くらいは分かるけど、車に乗りたての頃は、そんなこといちいち考えながら乗っちゃいなかった。

 

微分とか積分とかを、噛んで含めるように教えてくれる人が居たら良いのにと、そんな知的風俗業の可能性まで考えてしまう。

 

あと、中上健次の小説にも片想いしている。中上健次には、骨太でどんな障害があっても構わず突き進む強さというイメージを持っている。その強さを俺も身に付けたい。それには中上健次の小説を読めば良いのではないか。そんな自分になりたいばかりに、全集を買い揃えたし、和歌山にお墓まで訪ねたりしたのだけれど、一向に読み進むことができない。

 

でもまだまだ諦めていない。『人生劇場』で「俺は女に振られて振られて男になった」と言ったのは、飛車角だったか青成瓢吉だったか。