ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

つゆのあとさき(閲覧ちょっと注意)

 

 

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老人の会話を模す時には、例えば「そんなことはないのじゃ」と表現される。しかし、仮に笠智衆はそのように話すとしても、リアルな場面でそのように話している人に出会ったことはあるだろうか。

 

そんなことを考えた。

 

そしてその表現がもし実際にあるとして(笠智衆以外にだ)それは、時代を越えたものなのか、それとも前後30年、ひと世代程度の幅を考えるとして、現代の老人に特有の語尾なのか、それとも時代を越えた語尾なのか。

 

つまりそれは赤塚不二夫の『おそ松くん』を読んで見て育った世代が、なにかの拍子に「そんなことはないざんす」と言ってしまうようなものなのか、それとも「そんなことはないのだ」と断言したつもりが、加齢による口腔機能的な、あるいは音声学的な変化によって、「だ」が拗音化して「じゃ」と聞こえてしまうということなのか。

 

なぜそんなことを考えたかというと、次のような流れによる。

 

→(唐突だが)そういえば俺は風俗に行ったことがないことよなぁ(詠嘆)

 

→それは(少なくとも俺にとって)意志的に選択してきたことではなくて、きっかけと金銭的余裕がなかったからだ。

 

→しかし、だからと言って今ここで行くならば、それは普通のことだ。50のオヤジが風俗。夕暮れの雨に例えられ、病膏肓に入るものとして一笑に付されるだけで、語るべきものはない。せっかくここまで行ったことがないんだから、そこは何かひと味違った面白い展開を考えたい。

 

→そうだ。うんと老人になったら行ってみよう。老人になっても人肌が恋しくなるようなこともあるだろう。

 

→そういえば永島慎二の『フーテン』というマンガに、そんな老人が出てきたな。フーテンのマリアとかいう女の子を拾って、ホテルで寝かせてあげるんだ。何もしないで二人で抱きあって眠る。

 

フーテン―青春残酷物語 (シリーズ黄色い涙)

フーテン―青春残酷物語 (シリーズ黄色い涙)

 

→ほっといたら唯のエロジジイだけど、金銭授受を媒介すれば、それこそ晩年の永井荷風のような感じで、まあそれでもエロジジイだけど、俺の存在に何らかのプラスアルファがあれば、社会的にも許されるんじゃないか。相手の女の子にも「ジジイだけど、面倒くさくないから楽だし、金はあるからね」なんて言われてさ。

 

→それは悪くないんじゃないか。呼んだ女の子に「同衾してくだされば良いのじゃ」とか言って。

 

うん?

 

俺はやがて年老いたら、”良いの「じゃ」”って言うのか?…「じゃ」って何だ?「じゃ」って。

 

というわけだ。

 

そんなことを考えて、念の為ググってみたら、げに恐ろしきは知恵袋なのだった。

 

 

ドラマやアニメなどで老人はなぜ言葉の語尾に『じゃ』と言うのですか?という質問が記載されていた。そして、詳細な解答を読むことができる。

 

こんな風に何にでもきちんとした解答があるということは、素晴らしい。教育というものは、そのことをさえ教えたら、後は個々人に委ねて良いのではないか。何にでも疑問を持つこと。そして何にでも解答の可能性があること。

 

まあ、和漢洋三面待ちにして、芸妓・私娼を愛で続けた永井荷風へと至るプラスアルファは、エベレスト並なのだけれど。

 

墨東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)

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日和下駄 (講談社文芸文庫)

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あともう一つ。事程左様に、俺は15分に1度くらいの割合で、いやらしいことを考えている。逆よりは、即ち15分に1度の割合でまともなことを考えるよりはマシかと考えている。