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ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

ボウズ

雑感 音楽 マルタ

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最近だれそれと結婚したなんとかいうグループの人の話ではない。

 

高校の頃、髪は伸ばすことが解放の証だった。コンサバティブな連中は短髪を旨とする「高校生らしい」髪型をしていた。『赤頭巾ちゃんご用心』という、これは庄司薫ではなく、レイジーというバンドのヒット曲だが、そのメンバー、ポッキーみたいにしている友人ほどではないにしろ、伸びるままに伸ばしていた。

 

 

 飯田橋の佳作座という名画座で『ジーザス・クライスト・スーパースター』と二本立てで見た『ウッドストック』では、40万人のヒッピーたちが長い髪を風になびかせていた。

 

耳を出すなんてことは考えられなかった。サーファーたちも前髪は短かったが、襟足を長く伸ばしていた。その髪型だけを真似た「陸サーファー」なんてスタイルもあった。

 

次にやってきたのは、テクノポップから生まれた髪型の波だ。ミカ・バンドの頃からオシャレだった高橋幸宏はともかく、細野晴臣が刈り上げて耳を出しているジャケットを見た時には、裏切られたような思いがした。『風街ろまん』であんなに不機嫌そうな長髪を見せていたのに。

 

俺の周りでもオシャレなヤツは、テクノカットにし始めていた。俺は『いちご白書をもう一度』を唄いながら、「髪は切らないよ」なんて言っていた。

 

夏は暑かった。刈り上げがマジョリティを形成し始めていた。でも、子どもの頃から理容院、床屋にしか行ったことがなかったから、その環境で「短くしてください」なんて言うと、唯の七・三分けになってしまいそうだった。

 

ちょうどその頃、妹が美容師の彼氏と付き合い始めた。「あのさぁ、実験じゃないけど、今、流行りの、なに?テクノカット?あんな風に切ってもらうことって出来るの?」なんて勢いで頼んでみた。ハサミを動かされながら、その都度のオーダーにも遠慮なくあれこれ指示を出すことができた。

 

出来上がった髪型はジャパンのデビット・シルヴィアンのような満足の行くものだった。しかし、その後、妹とその彼氏は別れ、俺の髪型は伸び行くままに任されるしかなくなった。

 

その後しばらくは短髪を基本としてはいるが、定まらない髪型の時期が長い間続く。それにヒゲも加わって、三〇代から四〇代の証明写真を並べてみると、不安定な時期のエリック・クラプトンのように、変遷が激しい。

 

マルタ島に行った時、暑い乾燥したその土地で知り合ったマルタ人の多くが坊主頭だった。マルタ人も黒髪だ。日本人の学生は帽子を被りたがらなくて、サングラスをしたがる。それはヨーロッパの学生たちがそうだからだ。でも、黒目で黒髪の日本人は、熱を吸収しないように帽子は必需品だが、瞳がメラニン色素に守られているからサングラスは要らないんだ。そう教わった。

 

マルタ島から帰って、ぼんやり彼の地を思い出すような日々を過ごすうちに、俺もボウズにしたくなった。髪が少々薄くなり始めたこともある。でも逡巡した。子どもの頃から、ボウズなんてしたことがなかったし、母親は俺の頭の形がイビツだと言い続けてきた。試しにいつも行っている床屋で「今日は…どうします?」に対して「ボウズってダメですか?」と聞いたら、鏡に向かったその床屋の奥さんに大笑いされた。

 

しかし、ある時、ボウズの友人が「ボウズにしたいんだけど、似合わないんだよね、俺。ほらゼッペキだから」と美容師に言ったら「ボウズは似合う、似合わないの問題じゃなくて、ボウズという生き方を選ぶかどうかっすよ」と言われたという話を教えてくれた。

 

その話を聞いてすぐにバリカンを買ってきて、それからずっと自前のボウズだ。だからなんだというわけでもないが、自前のボウズは楽すぎてやめられない。これこそ開放的だ。

 

変化が命だと思いながら、今は次がイメージできない。