ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

黄色い大地 陳凱歌 或いは唄うこと

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時々不思議に思うことがある。歌うこと。踊ること。

 

先日フランスで生まれ育ち、フランス人と結婚し離婚されたという方に会った。自分のメンタリティはフランス人なのだと仰る。その癖、外見はご覧の通り日本人なのだとカタコトの日本語で仰る。この孤独が分かりますか?と仰っていた。

 

またある友人はベルギーに在住し、そこで同じくベルギー在住の日本人と結婚した。そして娘さんが生まれた。彼女の母国語を何語にすれば良いのか。また、どうやって日本語を教えようか悩んでいると。

 

そんな複雑さを孕んだ人類だ。しかし、踊らない、また歌わない民族というのは存在しない(と思う)。

 

歌うということについて考えると、必ず思い出す映画が『黄色い大地』だ。陳凱歌(チェン・カイコウ)監督はこの映画で中国映画の「新しい波」を作ったとされる。

 

この映画の主題は、中国の民謡だった。主人公は中国各地を旅して、その地方の民謡を取材する兵隊だ。極貧の農村にやってきた彼は、老人と見える農民、(その実その老いは貧しさと過酷な労働から刻まれたもので、売られるように結婚させられる少女の父親である年齢なのだが)その農民に民謡の取材をする。

 

兵隊が農民に歌を歌ってくれと頼むと、彼は最初「悲しくもないのに歌なんて唄えない」と断るのだ。

 

そうか、彼らにとって歌を唄うというのは、「悲しさ」からの救済を求めて唄うのか、そう思っていると、すぐに彼は見事な節回しで民謡を唄う。無表情に、か細く途切れそうになりながら決して芯を失わない力強さを持った不思議な歌声が、中国の大地の映像の上に流れていく。

 

あんな風に唄えたら良い。

 

しかし、俺の友人が「歌の上手い奴と絵の上手い奴は、星の数ほど居る」と言っていたけれど、どうすれば上手く歌えるのかさっぱり分からない。

 

今時の少年少女たちはKaraokeの普及の影響で、本当に歌が上手くなったと思う。俺は唄うのが好きだけれど、以前もここに書いたが、俺が唄うと「痛い」らしい。せめて俺に出来ることは「歌詞を覚えること」だ。俺にとって歌を練習することは、コードを覚えることと歌詞を覚えることだ。それ以外何をすれば良いか分からないということが即ち「痛い」所以だろう。

 

でも歌うことをしなくなってしまうと感情を表わすことが出来なくなってしまいそうだ。意外と俺は感情を外に出すことが出来ない。嫌いだよも好きだよも言うのにちょっと心理的なジャンピングボードが必要になる。

 

上手くなくても良いから、嬉しいとか良かったとか感情を出したい。笑うように泣く。怯えも、怒りも、諦めもひとつひとつの感情を顕わにして見苦しくない所作を身に着けたい。

 

取り敢えずはATフィールドを融解させて、解放された状態にする。四六時中そうであるのではなく、その気になったらいつでもそのステイタスになれるように準備しておく。

 

あの農民が「悲しくもないのに歌なんて」と呟いた次の瞬間には歌い始めたように。