ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

木登り

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実家の近くにパンダ公園と呼ばれている小さな公園があった。勿論、パンダの遊具があるからそう呼ばれていたわけだ。 小さなと言っても、町内会館がある程度の広さはあって、うっかり調子に乗ってキャッチボールをしていると叱られる、そんな程度の広さだ。

 

そこにポプラの木があって、そこが俺の初めて登った木だ。枝を切り落とされた所に出来たコブを足がかりに、ワサワサと登って行くと、太い幹が三つに分かれて行く。そこは小柄な俺が寝転がるのに丁度良い広さだった。傾きも背中を支えるのに具合が良い傾きだった。その上、俯せになって下を見下ろすと、大きいポプラの葉が俺の姿を隠してくれた。

 

日曜日の午前中、夏休み…きっとひと夏だけのことだったのに違いないのだろうに、俺にとって永遠に続く時間だった。コーラは飲ませてもらえなかったけれど、三ツ矢サイダーだったら許されていた。俺は三ツ矢サイダーと駄菓子屋で買った手のひらサイズのポテトチップスを両手に、どうやったらこれを持ったままあの場所まで登れるか、ポプラの木の下で途方に暮れていた。

 

今だったらディバッグとかの知恵もあるのだろうけど、昭和の40年台にはそんな気の利いたものはない。少年たちは徒手空拳で夏と対峙していたのだ。捕虫網だって、ほつれたのを繕って使っていた。俺は枠だけの捕虫網を拾って、ビニール袋に細かい穴を開けて、網の代わりにして使っていた。「これで良いだろ」と手渡されたけど、お父さん、あの網で取れるほど昆虫はバカではありませんでしたよ、だった。

 

中学生になり、もうちょっと反射神経が付いてくると、負荷を掛けた虫取りの修練のお陰で、トンボなんぞは手掴みで捕まえていた。捕まえたトンボを入れるカゴも持っていないから、指と指の間に羽を挟んで捕まえておいた。左手の小指と薬指の間…薬指と中指の間…今こうやって数えてみると最高で7匹だ。7匹捕まえるたら一斉に虚空に放つ。それが俺の虫取りだった。

 

いくら汗をかいても、汗臭さなんて誰も気にしなかった。

 

自転車でカエルを捕りに出かけた。池があって、その池の傍らにはメッキ工場みたいな(根拠はあまりない)工場があった。ウシガエルのオタマジャクシが、もの凄い大きさで目の前を泳いで行った。そして自転車のチェーンは外れ、直すすべもなくどこまでもどこまでもそれを押して歩いていた。

 

あの頃のクソガキの夏を取り戻す。そんな言挙げをしてみよう。そうしてあのポプラの木に三ツ矢サイダーとポテチを持って登るんだ。それだけじゃない。あの木の上に、基地だって作ってやる。 これは宣戦布告だ。

 

写真は週末泳いで来た湖だ。寒くなかったかと聞かれれば寒かったと答えるくらいの正直さはある。