ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

ジャズ・バー

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最初にその重い扉を引いてカウンターに座ってから、今に至るまで、随分とその店のマスターには世話になったという話だ。

  

池袋に下宿していた時、初めての一人暮らしにワクワクした感情は、ざっとひと月余りで蒸発した。

 

付き合っていた女の子とも上手くいかなくなったりしているうちに、無聊をかこち、近辺をそぞろ歩きするようになる。そうでなければ入らなかっただろう店がほんのワンブロックほどの所にあった。

 

厚い引き戸があり、その傍らに大きなガラス窓があるのだが、クリフォード・ブラウンの白黒写真が掲げてあり、中は見通せない。日除けの色合いや、扉の趣きが何かチグハグで、別なお店だったのを、居抜きでジャズバーにしたという雰囲気が感じられた。

 

アーリータイムスをロックで頼んだファーストコンタクトの時、マスターは「初めてのお客さんだから」とおまけしてくれて、メジャーグラスに一杯半くらい注いでくれた。

 

やがて毎日のように立ち寄るようになり、終いには、俺が金に困って甘えた時、金を貸してくれた上に、米もビニール袋に入れて持たせてくれた。

 

ありていに言って、決して繁盛しているというわけではない店だったから、カウンターに座ってマスターの話をずっと聞くことが出来た。全く分からないと思っていたジャズというものについて、個人教授してもらったような気がする。 名前だけ知っていたコルトレーンもマイルスもこの店で初めて聞かせてもらった。

 

敷居の高かったジャズの世界が近くなった。「分かる、分からない」じゃなくて、要するに「カッチョ良い!」って感じられるジャズが、そいつにとっての「良いジャズ」だってことだ。

 

それが分かったら、あとは、酒と一緒だ。浴びれば良い。

 

俺がそう感じたのはウェス・モンゴメリーを聞いた時だった。少し酔ったマスターがウェスのソロを聞いて「ここがカッコ良いんだよなぁ」と感に耐えないという声で漏らしたのだ。

 

結婚するって決めた時、既に離れた町で暮らしていたんだけれど、訪ねて、その旨を報告した。マスターは「それはお祝いしなくちゃなぁ」って言ってくれた。 都内で行われた結婚式の晩、気疲れした俺は、妻に「マスターんとこ行くのは明日にしよう」って言って、その日は眠ってしまった。 翌日顔を出すとマスターは曖昧な顔で「実は昨日、お祝いに寿司取って待ってたんだよ」って言った。「ゴメンなー、みんなで食べちゃったよ」って。

 

あぁ、本当に申し訳なかった。この先何年経っても、どんなに離れても、俺は通うから。

 

こんなストーリーが、きっとジャズ・バーに通う客の数だけあるに違いない。