ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

64歳になっても

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仕事帰りに最寄りの駅に付いた時、「じゃ、ども」と手を振り合って、上りホームと下りホームに別れて行く二人組がいた。60代後半ぐらいの感じで、すっきりとジャケットを着てノーネクタイ。片っ方は白髪頭で、もう片一方は薄くなった髪を坊主に刈りこんでいた。

 

まだ早い時間で、夕食を一緒にして別れるといったタイミングだろう。ちょっとは酒を飲んでいただろうに、作り上げられた二人の関係性の中に酒も上手に織り込んであるようだ。お互いの距離感をお互いが越えないような、良い塩梅の血中アルコール濃度を感じさせていた。

 

そのあっさりさ加減が、いいなぁと思った。

 

俺の育った家には年寄りがいなかった。両親の親は早くに亡くなっていた。だから、年寄りがどのような存在なのかを肌で感じることなく成長してしまった。そして両親に「老い」が感じられる頃に家を出た。その時は意識していなかったけれど、「老い」を目の当たりにすることを避けようとしていたのかも知れない。

 

今、自身の中に「年寄り」を取り込みつつある年代になって、その報いが訪れている。俺には「老い」というものが本格的に分からない。その分からなさ加減には、予習のなさも含まれている。何もかもが一斉に、本気で襲い掛かってくる。

 

それは肉体の疲労や倦怠感などではない。無視できるというわけでなくて、その訪れは想像がつく範疇にある。それよりももっと分からないことがたくさんある。一番分からないのは、どうすればあの老人たちのように、別れ際に「じゃ、ども」と綺麗に手を振ることが出来るかだ。

 

それが出来たら上等じゃないか。