ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

青春の詩 よしだたくろう

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昭和の頃の個人的な話だ。

 

最初に買ったレコードは何だ?という話題になることがある。「最初に自分の物にしたレコードは」だったら、『黒猫のタンゴ』とかになるのかも知れないが、「買った」のは、よしだたくろうの『青春の詩』だった。

 

きっかけや理由は覚えていない。

 

調べてみると「旅の宿」のヒットが1972年、『青春の詩』は1970年に発売だ。「旅の宿」のヒットで興味を持って、遡って1stアルバムから聞こうとしたという流れなのだろうか。とすると小学生としては随分と渋い選択だ。

 

それから彼のアルバムを『元気です』そして、幻の『たくろうオンステージ第二集』と手に入れて、聞いていた。『たくろうオンステージ第二集』は、本人の許可無くレコード化された為、発売中止となる。俺はそれをタダ同然の値段で、人に譲ってしまった。「ちょっと勿体無かったリスト」の上位にランク・インしている。但し、実は「準ちゃんが吉田拓郎に与えた多大なる影響」という曲と「なんとかならないか女の子」ぐらいしか聞かなかったから、別に構わない。ちょっと渋すぎたのかも知れない。

 

音楽の時間に歌のテストがあって、全員必修の課題曲の他に、希望者は自由曲を歌うことが出来た。その時、「誰か希望者はいませんか?」という先生の問いかけに、シーンと静まる教室で「ハイ」と手を上げてひとりだけ歌ったのは俺だ。

 

立ち上がる直前まで何か拓郎の歌を歌おうとしていたのに、ふと気が変わり「水戸黄門の主題歌」を歌った自分が、本当に良く分からない。そもそも無伴奏だから、どんな思いつきも通ってしまう。

 

そんな自分を長い間持て余してきた俺だが、これは周りも相当困惑しただろう。

 

やがて中学生になり、ビートルズの『イエローサブマリン』をテレビで見た。ピーター・マックス風の画面に(勿論、当時はそんなこと知らなかったが)すっかりイカれてしまった。美術の宿題で、まんまイエローサブマリンのポスターを描いて、何だか高い評価をもらったりした。それから小遣いでビートルズのアルバムを買った。月に一枚、小遣いはそれで全てなくなった。

 

中学3年の時、技術の時間にラジオ製作をした。言われるままにハンダ付けをして、基盤を作って行き、最終的に電池を入れて完成したかどうかを確かめる。その瞬間、偶然チューニングが合っていたらしく、当時のFENからピーター・フランプトンの「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」が流れた。曲が終わって、英語の解説になった時、みんな大真面目に「進駐軍放送だな」って言ってた。本当だ。まだ、そんな言葉がひっそりと生きていた。

 

その頃からギターを抱えて、よしだたくろうの譜面のコード表を追いながら歌を歌い始めた。AmとかGとか書いてあるままに、逆らいたがる指をねじ伏せて押さえるのだが、はっきり言って、どこが違うのかが分からなかった。それぞれの運指に従って出てくる和音の違いが分からなかったのだ。分からないまま少しずつ弾き語っていたのだから、これもまた相当周囲を困惑させていたに違いないのだ。

 

あ〜それも青春…という更なる気恥ずかしさが本格的に始まるのは、まだまだ先のことであった。