ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

パオロ・ベッティーニ

(事実関係に関する記載はWikipediaの記事をそれぞれ利用した)

 

自転車レースは、過酷なもので、例えばツール・ド・フランスは、全行程3500キロ前後を3週間以上かけて走る。勿論、二十四時間レースをしているというわけではなく、二十前後のステージを積み重ねて行き、その総合優勝を決めのだが、全行程を終えると、フランスを一周するということになる。その行程の中には、平地もあれば、山岳地帯もあり、その高低差は2000メートル以上ある。選手たちは、皆、体脂肪4%とか、3%とかの体なのに、レース期間中は7000kカロリーもの食事を摂るということ。ビッグマックだと十四個分のカロリーを、摂ってそれを消費するレースだ。

 

 俺は自転車に乗るのが好きだけど、レースは地上波で流れないので、あまり見たことがない。見たことがないから興味も結晶しなかった。でも、その自転車レースに関わる色々なエピソードを、友人たちに聞いたことがある。梅雨の合間に、そんなやり取りを思い出した。

 

ある年のあるステージで、選手が落車事故で亡くなってしまった。しかし、翌日もレースは続けなければならない。多くのスポンサーが関わっているし、膨大な金額が注ぎ込まれているから、おいそれと中止にできるものではない。翌日のレース、喪章を付けた選手たちは一団となって走った。着順を変えないように、全員同着で静かにゴールしたのだとか。

 

あるいは、夏のレースだから、暑さからジャージのフロントジッパーを下げて走っていたとしても、ゴールラインを越える瞬間には、身だしなみを整えるという意味で、必ずハンドルから片手を外し、ジッパーを上まで上げる。そういう紳士的な側面を持ったスポーツなんだ。

 

そんな話を聞いた。

 

ふーんと思って、家で、色々な選手のゴールの瞬間をYou Tubeで検索してみた。確かに、みんなひょいとジッパーを上げている。ピッとジッパーを上げてからガッツポーズをする。

 

そんな中で見つけた映像の中のひとつ。パオロ・ベッティーニというイタリア選手が、あるレースで優勝した時のものだ。俺はこの選手のことも、このレースのことも何も知らなかった。

 

物凄いスピードで坂道を降りていく。ガードレールすれすれ、家の壁すれすれのラインを一直線に降りていく姿の後、ゴールラインを駆け抜ける。その瞬間に体を起こし、ハンドルから手を離すと、やはりピッとジッパーを上げる。

 

そうして自分の胸を叩き、天を仰ぐと両手を天に両手を差し上げる。その直後、彼は顔をクシャクシャにして、涙が零れ落ちそうになる。随分と辛いレースだったのかなと思ったのだが、調べてみると、彼のお兄さんがそのレースの直前に交通事故で亡くなったそうだ。

 

試合後のインタビューで「今日は一人でペダルを踏んでいたわけじゃない。沿道から声援を送る兄の姿はもう無いが、彼はレース中常に一緒にいてくれた。」と語っている言葉が見つかった。

 

人は一人では生きられないという言葉は、普通、そういう意味では使われないのかも知れない。だが、俺は、あぁこういうことなんだなと思う。人は、孤独になることが出来ない生き物なのかも知れない。誰も誰かを独りにすることなんか出来ないのかも知れない。物理的に一人ぼっちにしたとしても、独りにはならない。

 

自転車は、乗っている人が足を動かさなければ止まってしまう。止まるどころか倒れてしまう。底の部分でなにかそういうギリギリなものを含んでいる乗り物だ。そして、それは子どもの頃、「ガキ」であった俺がケツを持ち上げて無我夢中で走る姿と一直線に重なる。免許も要らない。資格も要らない。ただ、速ければ「ガキ」のままでも何一つ構いはしない競技だ。

  

 

落車事故で亡くなった仲間のことを考えながらゴールした選手たちも、ベッティーニも、ずっと独りではなかった。それをしがらみと呼ぶこともできるだろうけれど、今、俺はそれこそが「人」の強さだと思う方向に肩入れしよう。

 

 

 

↑ 簡便な動画はこちらで。

最後に変な「重役たちの昼下がり」みたいなシーンが(何故なのだろう。コンテクストが分からないから俺には「変な」だ。詳細ご存じな向きはご教授の程を)入るので、気になる方は長いけれど ↓ こちらを。