ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

シュトルム『みずうみ』

 俺に現代詩を教えてくれた先生は、ある時、授業の中での雑談でこんな話をしてくれたこともあった。ドイツ語がぺらぺらで、授業は、教科書を使わず、カフカの「変身」と戦後日本の「荒地派」っていう現代詩を読むっていう、今考えても風変わりな授業をしていたその先生は、相当な本好きで、「実は昨日、古本屋に言ったんだけどね」と切り出して、こんな話をしてくれた。本当にちょっとした話だったのだが、印象に残っている。

 

 きのう古本屋に行って、ドイツのシュトルムっていう作家の『みずうみ』っていう本を買ったんだ。家に帰って、ページをめくってみると、奥付のところに悪戯書きがしてあった。それを目にして、ああ、気付かないで変な本を買っちゃったなって、一瞬がっかりしたけれど、書いてある言葉を読んで、すぐ、逆に嬉しくなった。という話だった。

 

 奥付に、「18歳の誕生日に」って万年筆で書いてあったそうだ。

 

 誰かが誰かにプレゼントして、そのことを書いておいたのか、或いは買った人自身がその日誕生日で、それを記念して書いておいたのか、詳しいことは分からないし、そんな記念になるような本をどうして古本屋に売ってしまったのかも分からない。けれど、シュトルムなんて、あまり日本では有名とはいえない作家の本を、自分と同じように手にした18歳がいたんだなあと思ったら、すごく嬉しくなったという話だった。

 

 そう言えば、本を読むということに関して、こんな話をしてくれた先生もいた。

 

 …ぼくたちはこの世にある全ての本を読み尽くすということはできない。この学校の図書館ひとつとったって、そこにある全ての本を読み尽くすことはできないだろう。同じように、ぼくたちは、この世の全てを知り尽くすことは決してできないだろう。でも、ぼくはそれでいいと思う。

 

 その先生はそう言った。

 

 …全ての本を読むことはできなくても、あなたが読んできた本は、あなたの足跡として残される。この世の全てを知り尽くすことはできなくても、あなたが何かを分かろうとして、何かを解決しようとして苦しんだその精神の働きは、あなたの足跡として残される。

 

 その先生は、授業が始まる前に必ず何か一言、黒板に言葉を書いてから授業に入った。その言葉というのは、詩の一節だったり、和歌だったり色々だったが、先生がその言葉を書くうちにざわついていた教室が静かになり、書き終わった先生は何も言わずに窓の外を眺めている。やがて、静かに「教科書何ページ」と先生が言って授業が始まる。こうやって話だけ聞くとうわーキザな先生だっていう感じがしてしまうかも知れない。実際、牧歌的な東京郊外の牧歌的な時代の話だ。けれど俺たちは、いつでもその先生の言葉を待っていたし、どんな勉強嫌いの奴でも、その先生のことを良い先生だって言っていた。

 

 ひょっとしたら、今の俺はこの二人の先生より年上になってしまっているのだろう。結局俺はこの二人の先生の言おうとしたことを忠実に実践しているだけなのだ。

 

本を読むこと。人に出会うこと。