ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

音楽との出会い。音楽とは出会い。

基本的に自分の音楽鑑賞力はないと思っている。例えば、「初めてビートルズを聞いた時、ラジオの音量を上げた」なんていうことがロック体験の原風景として語られたりするけど、俺が初めてローリングストーンズを聞いた時、その喧しさに閉口した。

 

ガチャガチャしてるし、なんだかチューニングも合っていないように思えるし、曲だってまとまりがないか、単調な繰り返しかそんな感じ。

 

高校の同級生でストーンズ好きが居て、おじさんが亡くなった時も、ブライアン・ジョーンズの追悼コンサートでミック・ジャガー引用したシェリーの詩を元に「おじさんは死んだのでも眠ったのでもなくて、夢から覚めたんだ」って、母親に言って、「バカなこと言ってるんじゃない」って怒られたような奴なんだが、(中学生だったからね)彼の解説付きで、「Let's spend the night together」っていうライブのビデオを見て、ようやくその魅力が分かったような気がする。

 

ドラムのチャーリー・ワッツが、自分が紹介されている時、ハイハットの下辺りをゴソゴソしているのを見て「別にそんなところ調整する必要もないのに、恥ずかしがって」とか、それに気が付いたギターのキース・リチャーズが、チャーリーの薄くなった頭を小突くところで、ケタケタと笑う。

 

全く別の友人が、ストーンズの「Satisfaction」を「ギターの弦を一本しか使っていないリフなのに、カッコイイなぁ」って言うのを聞いたり。

 

「I can't get no satisfactionで、どうして満足できないぜって意味になるんだ?二重否定って強い肯定じゃないの?」

「黒人風の”教養ない英語”だから良いんだよ」

 

そんなやりとりの中から少しずつストーンズの世界を知ることで曲に馴染みも出来てきた。そうすると良い曲だって思えてくる。ストーンズというバンドは俺にとって、曲そのものより、その曲が流れていた頃のシチュエーションが重要になってしまう。

 

そのシェリーの詩を引用した友達は、こっちの大学を卒業してから、UCLAに留学した。語学学校に半年通った後一時帰国して、こちらでの生活を思い出すよすがにって、友達とのやりとりをずっとビデオに録画していた。それを見せてもらった時、誰のどの家でもストーンズがかかっていのに感動したんだ。

 

Black Eyed Peasは、あの曲が掛かっていたマルタ島のクラブの喧騒と暑い夏がなければ今でも聞いたりしないかも知れない。

 

森田童子は、池袋の下宿が思い出されるし、その頃良く会って居た友人に借りていた高橋和巳は、森田童子を聞く時のバックグラウンドになる要素として重要だ。

 

荒木一郎は、忌野清志郎は、ミカ・バンドは…とipodに入っているバンドを順番に上げていくと、それぞれに誰かとの関係が一緒に想起される。とにかくジャズは、池袋のジャズバーでの日々と密接に結びついているみたいな感じだ。

 

これは純粋な音楽好きではなくて、自分の過去の「物語」が好きなだけなのかもしれない。