ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

意味

「意味」というものが分からなかった。

 

子どもの頃、そこそこ人当たりが良かったから、学級委員とかになることがあった。そして、学級委員会という代表者会議に出て、その司会とかをすることがあった。

 

その会議…それは「うさぎ小屋の掃除当番をどのような順番で決めるか」といった他愛もないものから「登下校時の安全確保をどのようにすれば良いか」といった結構マジメなものまで多岐にわたっていたはずだけれど、それを小学生たちが話し合いをし、結論を出す。

 

その司会をしていた。それが嫌で嫌でたまらなかった。何故ならみんなの話していることの「意味」がさっぱり分からなかったからだ。

 

話題が展開するスピードの問題、前置きから本題に移るタイミングの問題、あるいは根本的なリテラシーの欠落など、色々な要因が在ったのかもしれない。とにかく、最後に担当の先生が「じゃあ、司会者、まとめて」と言った時、その「まとめ」方がさっぱり分からなかった。クラっと目眩さえ感じていた。

 

だから、くちごもりながらも、聞こえてきた単語をつまみ上げるような形で作文していくと、「そんな意見は出てないでしょ」と怒られる。他の児童たちも怒り始める…というより閉口し始めているのが感じられる。「困ったことになっちゃったなぁ…こいつに任せたけど…こいつ…アレだ」

 

アレがなにか分からないけど、アレ的な何かという形で普通から排除されるような、そんな見当はずれなチンプンカンプンさだった。あの頃の俺は。

 

その「あの頃」というのがいったいいつまで続いたか。それを振り返ってみる。

 

そんな困惑のさなかに自分がいると感じた最後は、20歳ぐらいだったろう。それが「そこまでで済んだのか」なのか「そんなにまで」なのか分からない。その頃から、少しずつ色々なことが分かってきたように思う。

 

お陰さまで、今、俺は職場で会議の司会をするのは、多分、上手い。幼い頃からの苦労が実った形だろう。

 

大方の意見の賛意を得ている共通部分を抽象化する。問題点も、それが問題点である意味合いの方向性を確認する。まとめるとは、恐らくそういうことなんだろう。それを展開に従って読み取っていく。そしてフィードバックする。手に余りそうな話題の時は、あらかじめ根回しをして、着地点を見定めておく。

 

でも、であるならばと今にして思う。

そんな難しいことを小学生にさせない方が良いんじゃないだろうか?

 

それはそうと、実は今もあの頃と同じで、イミフの袋小路に迷い込んでいるけれど、加齢の厚顔無恥で、その困惑(自他共の)に馴致しただけなのかも知れないのだけれど。