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ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

Paperback

雑感 英語

白状しよう。

英語の本、いわゆるペーパーバックと呼ばれる本を初めて買ったのは、中学3年の時だった。ビートルズ詩集。その頃、神保町辺りの古本屋街を散歩するのが好きだった。今はもう閉店してしまったタトル商会に初めて足を踏み入れたのだ。

 

狭くてとても雰囲気が良い本屋だった。厨房の俺としては相当背伸びをして、その店に足を踏み入れた。洋書ばかりで、その雰囲気に圧倒され、店の入口を入ったところで奥に進んで行って良いものやらマゴマゴしていた。

 

落ち着きなく店の中を見ていた俺は、馴染みのある四人組の写真が表紙になっている本を見つけた。当時、俺はギターを覚え始めていた。友だちとビートルズのコピーバンドを作った。今は楽譜だってtab譜だってインターネットですぐ手に入れることが出来るけど、その頃、金無しの中学生としては、耳コピしか手段がなかった。ゆっくりゆっくり曲を覚えていった。

 

そのビートルズ詩集を読んで歌詞を覚えた。

 

次は高校1年の時、ボブ・ディランの詩集を買った。その頃は弾き語りなら(客観的な評価は別として)けっこう出来るようになっていたから、この本を前に広げて歌っていた。

 

正直言ってあまり学校で英語の勉強をした覚えはないのだけれど、この詩集に出てくる単語だけは辞書を引いて調べた。ディランの歌詞は、単語の意味が分かってもチンプンカンプンだったけれど。

 

それっきり英語の本を買うなんてことはしなくなっていた。

 

しかし、イギリス旅行から帰った頃、アマゾンがネット販売を始めた。旅行中に本屋で見かけた本をアマゾンのHPで見つけると、つい懐かしいような気がして注文していた。イギリスに旅行しようと思えば何十万円もかかるけど、届いた英語の本を読めば、旅行気分が数千円で味わえる。そんな理屈だった。

 

白状しようと言うのは、そうやって買い集めたペーパーバックの9割、読んでいないということだ。

 

俺のしたのは買い物。カッコつけに部屋に積まれているだけで、ゆっくりと黄ばんでいくだけだ。

 

日本語の本を気が付いたら読めるようになっていたんだから、洋書だってそればっかり読んでいたら、自然に読めるようになる。そう思っていた。「読んでいたら」ね。

 

俺は極めてイージーな発想をする人間だから、自分の中にある素敵なイメージとしての自分に近づくために、あの本を買えば、あの本を読むことが出来るような知的水準の自分になったような気がしてしまう。クラプトンと同じギターを買えば、あのフレーズが自分のものになるような気がする。

 

でも当たり前だけど、買い物をしたからって人は変わることは出来ない。

 

努力とも呼べないような低いハードルであるような地味な地道な行為の繰り返し。それが必要だよな。

 

そんな白状とそんな覚悟。