読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

指輪に傷を付けた

雑感 マルタ

f:id:jerryrollsunny:20041020122802j:plain

 

俺の父親の仕事は錺屋だった。

 

「かざりや」と読む。彫金一般をそう呼ぶのではないかと思う。仕事を尋ねられると父親はそう答えるのが常だった。「かざりやです」って。多分その職名にプライドを持っていたんだろうなって思う。当時でもそれがどんな仕事か分からない相手が大部分で、「は?」って言われると、すぐに「彫金です、彫金」と言い直していたから。

 

家の一番奥の四畳半を「仕事場」としていた。座布団を敷き、胡座をかいて、プラチナなどの地金を加工していた。概ねは、指輪を作っていたのだ。

 

地金を熱するためのガスバーナーが有り、金槌があり、木槌があり、ヤスリがあった。そこで親父は朝から晩まで働いていた。少年時代、俺が目を覚ますともう金槌の音がしていたし、夜は、明るくて眠れないとこぼす俺のために、自分が寝る前のマットレスを立てて壁を作ってくれた。

 

俺にとっての父親は家に居て仕事をしている人だった。だから今でも、勤め人として働いている今でも、居職に憧れる。何かが足りなくて居職になれないのだと感じているところがある。

 

小学校しか出ていなくて、でも本を読むのが好きだった父は、旅行書を買ってきてはペラペラとめくっていた。経済的な余裕がなかったから、「読んでいるだけで行った気になるんだ」と言っていた。

 

子供の頃からずっと良くなかった骨髄炎が悪化して、70歳になった時に右足を切断手術した。その6年後に亡くなったわけだが、錺屋としての仕事はそのずっと前に納めていた。働けば働くほど赤字になるからと、ガードマンの夜勤のバイトをするのだった。

 

仕事場を解体してしまうって時に、少し寂しかった俺は、「ここはそのまま残しておいて、趣味みたいな感じで仕事をするってわけにはいかないの?」と尋ねてみた。「そんな甘いもんじゃないよ」と言われた。

 

俺の結婚指輪はそんな父親が仕事を辞める前の最後の仕事だった。俺は普段はそれをしていない。似合わないからだ。ただ、海外旅行をする時には、万が一ってことがあった時に、俺自身だったことを確かめて貰いやすいようにと嵌めていく。

 

マルタ島で地中海を眺めながら、その海を見下ろす展望台の手すりに、俺はその結婚指輪を擦りつけた。父が脳腫瘍で死んでから2年経っていた。

 

父の作った指輪にマルタの岩で傷を付けたかった。

 

マルタの岩に父の作った指輪で傷を付けたかった。

 

こんな遠くまで来たんだよって印を付けたかったのだ。生まれたところからどこまで遠くに行けるか。まずはここをセーブポイントにして…そんな気持ちだった。