ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

ラムネ堂

もうずっと昔の話。

 

山梨県の勝沼に友人が住んでいて、彼の家に遊びに行くと、まぁ、勢い宿泊してくるっていうことになる。俺の実家は都内だったから。

 

山間の町が何か新鮮で、坂の町を借りたチャリで走り降りたり、押して登ったり。青臭い論議にならないような論議で朝まで過ごしたり、彼の部屋のカセットデッキからは、The Rolling Stonesの"Angie"とPhoebe Snowが歌う"Don't Let Me Down"が流れてきたのを覚えてる。今となってはもうすっかりお爺さんたちのStonesもまだまだ現役だった頃だ。貫禄満点のPhoebe Snowだってデビューしたてぐらいだ。

 

そんな時、甲府まで足を延ばしてロック喫茶のハシゴをすることがあった。ロック喫茶なんて言葉も懐かしい。当時の青少年には、大きな音でロックを聞くなんてことは、ライブに行くか、そのロック喫茶に行くことでしか叶わなかったんだ。大きなスピーカーを設置して、薄暗い中でロックのレコードを専門にかけてくれる。

 

なにしろ、あの頃は「エレキギターが出てくるテレビ番組は全部見てる」なんて豪語する洋楽好きの友人がいたけど、それがあながち不可能なことじゃなかったんだ。

 

それくらいレアなものだったと。

 

そんな頃、都内のロック喫茶なんて、俺にとっては魔窟のようなところで、とても足を踏み入れることが出来る場所じゃなかった。今の感覚で言えば、ロンドンはソーホーで女の子と懇ろになる方がまだ簡単ってくらいの敷居の高さだった。

 

勝沼在住の友人は、「マスターも知り合いだし、結構面白い話も聞けるよ」と、とてつもないことを言って俺を誘ってくれた。

 

まずは駅近くの『デュアン』というお店に連れて行ってくれた。階段を降りて行く地下のお店だった。そこではJoe Cockerが"With a Little Help from My Friends"を歌っていた。ヒッピーたちの大集会"Woodstock Festival"で、洗いざらしたろうけつ染めのTシャツを着て、後のショーケンのような振りで、トランスっぽくしゃがれた声で歌う姿に、びっくりしたのは、そのちょっと前のことだったから、よく覚えてる。(あ、勿論、映画を見たんだよ。Woodstockの記録映画)

 

 

それから『ノンノン』というお店、『ジューク・ポイント』というお店。中でも一番印象的だったのは、白茶けた路地裏にあった『ラムネ堂』というお店だった。記憶の中で相当のアレンジが加えられているはずだから、訂正をいくらでもお待ちしますなのだが、オーク材っぽい大きな扉にThe Bandが描かれたポスターが掲げられていた。The Band はBob Dylanのバックバンドとしてデビューした泥臭いシンプルなアメリカンミュージックが売りのバンドだ。ドラムのレボン・ヘルム以外はみんなカナダ人なのに。そのThe Bandが不機嫌そうな顔でこっちを見ているポスターが扉の内側に貼られている。それが見えたってことは、扉は開いていたってことだろう。

 

店の中は、ガランとして、ちょうど宮藤官九郎の『木更津キャッツアイ』のマスターの店内みたいだった。

 

その店でタバコを吸いながら、そこらにうず高く積まれた雑誌の中から手に取ったのが『ガロ』だった。サブカル系マイナー漫画誌赤瀬川原平南伸坊渡辺和博などなど、後の人格形成に大きく寄与することになる多くの才能が唸りをあげて詰め込まれていたその雑誌を俺は、ラムネ堂で手にした。

 

篠原勝之が唐十郎の原作で描いた『糸姫』が掲載されている号だった。時が止まったように、結構長編だったろうに、それを読み切って、俺の中の何かが漏れ始めたんだ。そんな気がする。

 

この間、久しぶりに会ったその友人に聞いたら、どの店ももうなくなってるって。ラムネ堂は駐車場になってるって。そんな話だった。