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ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

三島由紀夫の全集が欲しい

雑感

決定版 三島由紀夫全集〈1〉長編小説(1)

 

 

 

残りの人生を、この文章を読むことに費やすっていうのは、どうかな。いや、なんていうのかな、自分とは無縁だと思っていた人と知り合って、知り合ったらとっても面白い人だということが分かって。

 

折角だから、もっと徹底的に知り合いたいって思っている。今は、そんな状態。

 

もう、この人については、実は多くの人が多くの言葉を持って、同じような思いを述べてるんだろうけどさ。

 

誰か、俺にこの全集を44巻揃いで、ポイっとプレゼントしてくれないものか。この全集と、フェンダーテレキャスター(USA)と、座卓と座椅子。あ、あと、新しいMacBook

 

 

『豊饒の海』三島由紀夫を読んでいる

雑感

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随分昔に読んだ三島由紀夫の遺作を読み返している。もう30年ぶりくらいに読み直して、驚いてる。こんなに面白かったんだ💦という感じだ。

 

幼い頃に打ちのめされたその文章のペダンティックな側面にはもうやられない。それくらいには俺は年老いている。言うまでもない、作家の最後の年よりも、今の俺は年老いている。だから、僭越ながらその言辞に幻惑されるよりは、初読の時には気付かなかった展開などに魅了されている。

 

そうやって魅了されるまでに俺は成熟したのだと祝いでいるのだ。だから毎日が楽しくて仕方がない。ああ、こうなると残りの人生を『決定版 三島由紀夫全集』を読んで過ごしていきたくなる俺だ。

 

全44巻、月に1冊読んだとして、2年は耽溺できるわけだ。もう一度、言おう。この世は面白いもので充ちている。

 

 

夏の終わり 秋の始まり

雑感

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季節が替わることを身体で感じることがある。9月になって全身に蕁麻疹が出た。ものもらいが出来て、発熱した。

「体調の変化で出ることがありますよ」と医者が言った。

変化したのは体調なのか。「男の更年期」なんて言葉が思い浮かんだ。そこに至ってまだ俺は抗う。体調じゃない、ただ季節の変化だ。色々なことを消化して、次のステップに進もうとしているだけだ。

 

そう。ここに至って俺の頭の中には、瀕死のサイヤ人が居る。生まれ変わるのだ。より強い、よりワイルドな俺になるために。

 

 

シン・ゴジラ

映画 雑感


『シン・ゴジラ』予告

 

俺にしては珍しいことが2つ。俺の話などどうでも良いのだということは、充分承知している。しかし、なのだ。凡百の俺の中のひとりである俺が、公開すぐに映画を見たのは、そして見終わって、興奮しながら、憑かれたように映画のパンフレットを買ったのは、若干50数年の生涯の中で2度しかない。

 

最初の、そしてこれまでの最後だったその作品は、ザ・バンドの『ラストワルツ』だ。俺は友人と夜を徹して並んで公開を待った。先着50名様に、ザ・バンドのギターリスト、ロビー・ロバートソンのサイン入り写真が配られるというのを聞いたからだ。

 

見終わってパンフレットを購入した。しかし、それは友人と徹夜してまで見た映画だという、ある種のピア・エフェクトもあったろう。1978年公開…40年近くも前のことだ。

 

しかし、『シン・ゴジラ』である。俺は初代ゴジラ世代ではない。俺の記憶にあるゴジラは、ミニラを尻尾で遊ばせているソフィストケイトされた(皮肉だが)姿だ。

 

庵野監督にはこれまでにも何度か肩透かしを食わされている。途中までのテレビ放映の『エヴァンゲリオン』の余波で、最新作まで見てきたが、スッキリした例がない。

 

この『シン・ゴジラ』を公開翌日に見たのは、その日が日曜日という休日だったから、以外の深い理由もない。時間帯がちょうど良かったのと、そうは言っても見続けてきた庵野監督の新作であるからだった。

 

勿論、俺にとって、その凡百の俺の中のひとりに過ぎない俺にとってという限定を付けて言うのだが、傑作だ。何度も何度も涙を拭いた。そして当たり前のように、初めて映画を見た少年のようにパンフレットを買っていた。感動しただけでは、見ただけでは足りなかったのだ。

 

作り手として、あまりに多くの自由を手に入れたあまり空中分解しかけているのが、エヴァンゲリオンだとしたら、(百万言を費やしたとしても、少なくともドラマとしては、明らかに破綻しているだろう)大きな不自由な「ゴジラ」という枠組みと格闘することで、何をすべきなのかがはっきりと見えている。そのはっきりと見えていることで、この映画には、映画の魅力であるハラハラもドキドキもワクワクもイライラも、そして快哉を上げる瞬間も、全てが揃ったのだ。

 

それを傑作と言うのではなかったか?


そしてこの方法論が、即ち、これまでの全てを、スッとぼけてなかったことにし、映画として完結させるというやり方をエヴァの最新作に援用するとしたら…楽しみだ。

 

 

カラスが啼く

雑感 音楽

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ノドの奥から絞り出すような声で「朝にカラスの鳴く時は夜に必ず人が死ぬ」と歌ったのは三上寛で、彼の歌を明治の学祭で聞いたことがある。その歌詞の後には、臆面もなく次のように続ける。

今日もどこかの六十ジジイが

生娘抱いて腹上死

 

このままだったら、ただの露悪趣味だが、このスタンザの最後に至ってイメージは次のように反転する。

 

赤く開いたくちの中

ヤニで汚れて金歯が光る

投げ捨てられたステテコにゃ

娘が飛ばしたアゲハ蝶

 

「アゲハ蝶」は、地獄絵の片隅に描かれた仏のように、全てを救済する。

 

その学祭の時に、やはり聞いたのは「なかなか」という歌で、

 

吉野家の牛丼はなかなかに美味い

すると牛丼よりも「なかなか」に感動している自分に気づく

「なかかな」の歴史は古いものだ

 

そんなふうに語り、俺はくすくす笑いながら聞いていた。この歌も「なかなか」から「いちいち」へと続いて行き、俺のクスクスを誘引しながら、やはり突然「ところで風だが」と止揚される。

 

ところで風だが

風が吹いていた

 

その反転を当時は「情念」と呼んで持ち上げた。今にして思えばAmをギターで押さえることへの照れ隠しだったのではないか?

 

ふとそんなことを考えた。窓の外には、子どものカラスが啼いている。

ジャック・ダニエル or Jack Daniel's

雑感

 

ジャックダニエル ブラック 700ml

 

 

 

友人のアメリカ人は、日本に住んで長い。だから「マクドナルド」って母音をはっきり発音して、「日本語」で言うことができる。「すごいな」ってみんなで褒める。英語を日本語で言うって難しいよねって。

 

その彼が挑戦的な顔をして「じゃあ、英語で言ってご覧」というので、かなり緊張して、あるいは意識して「Macdonald」と言ってみた。すると彼は笑いながら「違うよ、Macdonald'sだよ」と言った。

 

アポストロフィーSを無視するのは、日本語にその習慣がないからか?

 

そう言えば、昔、知り合ったある女の子は、英文科を卒業したお嬢さんだったが、アポストロフィーのことを「アポストロフィーエス」というのだと思いこんだまま卒業なさってしまったという。ある出版社に勤めた彼女は、文章校正をしている時に「アポストロフィーエス、エス」と読んで「なんだそれ?」というやりとりから、その思い込みが発覚したのだそうだ。

 

それはともかく、ジャック・ダニエルが千円台で買えるようになるなんて、良い世の中になったもんだ。俺が高校を卒業した時は、1万円札がないと買えなかったんだ。

 

乾杯。

 

 

ホープ軒のラーメン

雑感

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最初は誰に教わったのか覚えてはいない。もうずっと昔のことだ。食レポとか、食べログとか、そんな言葉の気配さえない頃、せいぜい高校の近くではどこのラーメン屋が美味いとか、どこに行けばこっそりタバコが吸えるかとか、そんなことが口伝えで広まって行く程度の頃だ。

 

大学に入り、少しずつ世界が広がって来ると、どこそこの何々が美味いぞなんてことが話題になるようになった。アジャンタのカレーとか、池袋のベトナム料理とか、誘われるままに行ってみた。

 

そんな中のひとつがホープ軒のラーメンだった。背脂がいっぱい乗っていて、冬場にぼやぼやしているとその脂が固まってラードのようになっていく。ネギは自分で掛ける方式で、給される水にはジャスミンの香りがついていた。

 

それからずっと、間は開くことがあっても、通い続けている。五年前に一度、そしてまたつい最近に行った。

 

こちらの方の体力は変わっていても、ホープ軒のラーメンは変わらない。美味いぞ。