ジグ・ノート

備忘録のような形でつらつらと…

ロアルド・ダールのボックスセット

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シドニーで知り合った小学校1年生の部屋にあった。日本に帰って来て早速買い込んで読んでいる。

これがとても面白いのだが、語学の世界の奥深さを感じる。この語彙が小学1年生なんだと思うと暗澹となる。

端から順に読んでいる。半分、読んだ。そう考えるとヘミングウェイまではまだまだ遠い。

ファイト・クラブ

Fight Club 1999 HD 30 Second Promo Trailer 1

 

友人がずっと昔に「俺のいちばん好きな映画はこれだ」と教えてくれて、それ以後、ずっと気になっていた。気になっていて、見たことだってある。その時は、どうにも意味が分からなくて、途中で見るのをやめてしまった。

 

いつまで見ていてもファイト・クラブのような場面にはならないし、変な女が出てきて、不思議な会話を繰り返すだけだった。迷路のような場所に迷い込んで、迷路のような会話が繰り返される悪夢のような展開が不快だった。

 

今日、大晦日のどさくさに紛れて見てみた。言わずもがなの傑作じゃないか。以前見た時のあの印象はなんだったんだろう。

 

あの時は確かに、相当酔っ払っていた。そんな状態で、TSUTAYAでDVDをレンタルして見たのだった。ひょっとして、間違った映画のDVDを借りたのかも知れないと思った。でも確かにブラッド・ピットエドワード・ノートンも出ていたように思う。

 

まぁ、酔って見る映画じゃなかったということは間違いないし、悪い飲み助の俺が酩酊状態にある時は、多分、この映画のリアルと重なる精神状態なのだろうとも思う。

 

あぁ、あの時、既に俺は『ファイト・クラブ』の世界に入り込んでしまっていたのかも知れない。

 

莊子斉物論編に曰く「昔者荘周夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり。自ら喩しみて志に適えるかな。周たるを知らざるなり。 俄然として覚むれば、則ち蘧々然として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを」ということだ。

三島由紀夫の全集が欲しい

決定版 三島由紀夫全集〈1〉長編小説(1)

 

 

 

残りの人生を、この文章を読むことに費やすっていうのは、どうかな。いや、なんていうのかな、自分とは無縁だと思っていた人と知り合って、知り合ったらとっても面白い人だということが分かって。

 

折角だから、もっと徹底的に知り合いたいって思っている。今は、そんな状態。

 

もう、この人については、実は多くの人が多くの言葉を持って、同じような思いを述べてるんだろうけどさ。

 

誰か、俺にこの全集を44巻揃いで、ポイっとプレゼントしてくれないものか。この全集と、フェンダーテレキャスター(USA)と、座卓と座椅子。あ、あと、新しいMacBook

 

 

『豊饒の海』三島由紀夫を読んでいる

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随分昔に読んだ三島由紀夫の遺作を読み返している。もう30年ぶりくらいに読み直して、驚いてる。こんなに面白かったんだ💦という感じだ。

 

幼い頃に打ちのめされたその文章のペダンティックな側面にはもうやられない。それくらいには俺は年老いている。言うまでもない、作家の最後の年よりも、今の俺は年老いている。だから、僭越ながらその言辞に幻惑されるよりは、初読の時には気付かなかった展開などに魅了されている。

 

そうやって魅了されるまでに俺は成熟したのだと祝いでいるのだ。だから毎日が楽しくて仕方がない。ああ、こうなると残りの人生を『決定版 三島由紀夫全集』を読んで過ごしていきたくなる俺だ。

 

全44巻、月に1冊読んだとして、2年は耽溺できるわけだ。もう一度、言おう。この世は面白いもので充ちている。

 

 

夏の終わり 秋の始まり

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季節が替わることを身体で感じることがある。9月になって全身に蕁麻疹が出た。ものもらいが出来て、発熱した。

「体調の変化で出ることがありますよ」と医者が言った。

変化したのは体調なのか。「男の更年期」なんて言葉が思い浮かんだ。そこに至ってまだ俺は抗う。体調じゃない、ただ季節の変化だ。色々なことを消化して、次のステップに進もうとしているだけだ。

 

そう。ここに至って俺の頭の中には、瀕死のサイヤ人が居る。生まれ変わるのだ。より強い、よりワイルドな俺になるために。

 

 

シン・ゴジラ


『シン・ゴジラ』予告

 

俺にしては珍しいことが2つ。俺の話などどうでも良いのだということは、充分承知している。しかし、なのだ。凡百の俺の中のひとりである俺が、公開すぐに映画を見たのは、そして見終わって、興奮しながら、憑かれたように映画のパンフレットを買ったのは、若干50数年の生涯の中で2度しかない。

 

最初の、そしてこれまでの最後だったその作品は、ザ・バンドの『ラストワルツ』だ。俺は友人と夜を徹して並んで公開を待った。先着50名様に、ザ・バンドのギターリスト、ロビー・ロバートソンのサイン入り写真が配られるというのを聞いたからだ。

 

見終わってパンフレットを購入した。しかし、それは友人と徹夜してまで見た映画だという、ある種のピア・エフェクトもあったろう。1978年公開…40年近くも前のことだ。

 

しかし、『シン・ゴジラ』である。俺は初代ゴジラ世代ではない。俺の記憶にあるゴジラは、ミニラを尻尾で遊ばせているソフィストケイトされた(皮肉だが)姿だ。

 

庵野監督にはこれまでにも何度か肩透かしを食わされている。途中までのテレビ放映の『エヴァンゲリオン』の余波で、最新作まで見てきたが、スッキリした例がない。

 

この『シン・ゴジラ』を公開翌日に見たのは、その日が日曜日という休日だったから、以外の深い理由もない。時間帯がちょうど良かったのと、そうは言っても見続けてきた庵野監督の新作であるからだった。

 

勿論、俺にとって、その凡百の俺の中のひとりに過ぎない俺にとってという限定を付けて言うのだが、傑作だ。何度も何度も涙を拭いた。そして当たり前のように、初めて映画を見た少年のようにパンフレットを買っていた。感動しただけでは、見ただけでは足りなかったのだ。

 

作り手として、あまりに多くの自由を手に入れたあまり空中分解しかけているのが、エヴァンゲリオンだとしたら、(百万言を費やしたとしても、少なくともドラマとしては、明らかに破綻しているだろう)大きな不自由な「ゴジラ」という枠組みと格闘することで、何をすべきなのかがはっきりと見えている。そのはっきりと見えていることで、この映画には、映画の魅力であるハラハラもドキドキもワクワクもイライラも、そして快哉を上げる瞬間も、全てが揃ったのだ。

 

それを傑作と言うのではなかったか?


そしてこの方法論が、即ち、これまでの全てを、スッとぼけてなかったことにし、映画として完結させるというやり方をエヴァの最新作に援用するとしたら…楽しみだ。